コラム

#39 スズキジュンコ

2014.09.20


埼玉に生まれ、大学で山形へ、オルタナティブスペース運営のため長崎波佐見へ、そしてアートNPOスタッフとして富山氷見にと、なんだかずうっと日本のアートの匂いがする田舎に身を置いている。アーティスト・イン・レジデンスはしばしば経験させていただいたけれど、私にとって自分の遍歴はそれより深いけどあんまり違わない感覚で、実は気に入っている。
農業の町でも窯業の町でも漁業の町でも、様々な土地の特色を学び楽しみ、観光客とはまた違う目線で今も昔も変わらないものを探すのもいいのかもしれないけれど、私はさらにその根っこの先端まで寄り添えたら本望と思っていて、だから住んでしまう。

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私が田舎好きなのは、人間らしく在りやすいからだ。猪や魚を捌き、山菜を採り、地域のお祭りに混ざり、酒を酌み交わす。いい加減。様々な恵みやエネルギーの交換をくり返しながら、その土地の人と一緒に生きていく。生きていく実感がすごい。今在籍しているヒミングではカフェも運営しているのだけれど、常連のおじちゃん(たまに私)が釣ってきた魚を刺身にして、お客さんも交えていただいたりする。お裾分けをお裾分け。愛がぐるぐる巡る。お金が介在しないのもいい。歴史や風土と大きく関わりを持ち、折り合いを付け調和を試みながら、私を人として更正させ、悩ませ、こんな歳になってもなお育ててくれている田舎、ありがとうございます。
 
正直なことを言えば、私は相当なエゴイストだな、と思った。場や環境が再び息を吹き返せるためにピチピチの20代から10年近く費やして、自分が楽しむことは2番目以降だった。そういうところがすでに屈折した傲慢で、目的が同じでも順序が逆だったら無理もでる。それを最近になってやっと気付かせてくれたのは、私の敬愛する「でかい人」たちだった。

日本中どこにでもきっと、歴史や風土と並ぶスケールの「でかい人」がいて、そういう方々に逢って話すのが私は好きだ。私が成長できるからだ。氷見に来る動機も、でかい人に会えるかも、という期待から。だから「悩みがあったら海へ出ろ」という網元の言葉なんて、埼玉産の私にはシビれまくる。
自分の無知に気付けば、世界がまた広くなる。知ればもっと広くなる。そこから自分を水簸(すいひ)すれば、密度の高い今や未来が得られる気がしているし、過去たちもピリッと光る。
しかし、「でかい人」の大方はご年配だから、私たちはこの方々から数えきれないほどの物事を受け取りそびれている、そんな危機感を受けざるを得ない。それに気付いた自分を褒めたい、というのは冗談で(笑)、私のまわりにいる若者たちも、同じようにその危機感をふまえて自分の人生を歩こうとしている感触が確かにあって、心強い。しかも先生は街中にいる。日本中に、いや、人がいる全ての場所にいるだろう。

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これは、経済を支えるべく消費を加速させる効率化とは全く逆の考え方だろうし、身の丈の地味な性質からステレオタイプには伝えにくいことかもしれないが、しかしそこには必ず人が介在する。人の想いも介在できる。すぐにわかりやすい答えが見えなくても、俯瞰すれば大きな輪郭がある。私たちの日常はもしかすると、そういう体温のあるスケール感に飢えていて、人である以上、もうそろそろ騙しも効かなくなっているのではないか。

氷見といえば鰤(ブリ)などの海産物が有名だが、それを支える定置網は海中の巨大建造物だ。その網を例に出してみる。
現在はナイロンなどの化繊だけれど、昔は藁縄製だった。その大量の藁はハサ掛け天日干しの稲から採る。山では柿を植え、柿渋を藁縄にしみ込ませ防腐処理をし、ついでに冬には干柿を作り正月飾りにする。海では藁網に藻が付き稚魚を育む。そして網が弱ったら海底に破棄。それは魚礁となったあと有機物に分解され、養分で海藻が育ち、産卵場所を作り、たくましい食物連鎖の地盤となっていた。魚つき保安林が今もこの地に残るのも、先人から脈々と繋いできた知恵だ。時代が変わり、漁業にも効率化が及んだ現在でも十分ダイナミックだけど、この失われたかつての循環はまったく壮大だ。

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過去に戻りたいわけではない。行き過ぎたときの「少し戻ってみる」をやりたくなったときの方角を知るのは、人間性や環境のバランスを保つのに大切なことだと思う。少しづつ、見失った根幹の違和感と重要性に気付く人が増え始めている実感もあって、レジスタンス同士みたいで嬉しい。

でかい人や事象に出くわすたび、地方でのアートってなんだろう、アーティストってなんなんだ?とか、さらには自分自身に対してまで至る疑問が現れては、その都度答えを探しつづけるわけだけれど、最近よくわからない。地方に於いての...という括りでいおうとすれば、欠落を補うための地方から都市部への「通訳」が一つの意義かもしれない。地のエッセンスを吸い、外部へ吐き出す。過去を咀嚼して未来へ持ち込む。しかし高速で表面的に消費されていくのは嫌だしなあ、と様子をうかがいながら、では、あの「でかい人」ならどうするだろう、と想像する。でかい人の方がよっぽどアーティスティックな生き様だったりするわけだから。
だから、前回のこのコラムを書かれた隠岐の松浦さんの文章は、私をスッとさせてくれた。猛烈な共感とその理由を考えると、「でかい人」や場にとって、在り方や考え方の助言なんて、全くのおせっかいだ。でかい人はとやかく言わないどころか、そのおせっかいも引き受ける。だから恐れ多いことをしたと、後で気付く。でも、尊敬しながら共に在ることはできる。でかい人たちはそれを、でかい愛と笑い声をもって私に教えてくれたわけだ。なんだかやっと日本の地面に足が着いた感覚だ。これからは歩ける。

どっぷりと各地の血が混じり、全身の細胞も改新し続けるのであれば、せっかく屈折しなくなったエゴもあることだし、あのアニメキャラのように頭を食べてもらう、というのは、わたしにできることとしたらしっくりくる。別府・混浴温泉世界期間中だけディープな裏路地に出現し、アーティストやアートファン、地元の人びとが集う社交場「スナック優子」はその一つだ。今でも「優子さん」と、私の本名で呼ばれないことも多い。来年の夏の開催まで優子はちゃんと、皆さんの飢えを少しは凌げる程度にでかめに成長しているだろうか。未来が楽しみって、楽しい。

最後に、このAAFで言葉にできる機会をいただいたこと、読んでくださったみんなに、心から感謝します。でかくなります!


スズキプロフィール 2.JPG
スズキジュンコ SUZUKI Junko 
1977年埼玉県坂戸市生まれ。東北芸術工科大学大学院実験芸術領域修了。2007-11年、長崎県波佐見町 ギャラリーmonné porte(モンネポルト)代表。2011年-  富山県氷見市 アートNPOヒミング アートマネージャー
テニス→鍛金→コミュニケーション→場やコトの不足箇所補充、と関心が推移し現在に至る。アートの現場で働きながら、立体、映像、パフォーマンス、新聞連載など様々なスタイルで制作。全国各地、各国で活動する。最近の活動:潜伏型パフォーマンス「スナック優子」(2010,2012/別府)、個展「transform」(2012/WALD ART STUDIO/福岡)、藝術定置網ヱヤサー!(2012,2013/自宅、松田江浜/氷見)、彼の作品ができたわけを知りに(2014/スロベニア)など。特技は櫓漕ぎと笑うこと。
スズキジュンコHP: http://151cm.com