コラム RSS

コラム 2016.04.20

#58 片岡優子(NPO法人 BaRaKa)


幼い頃から「どうして自分は島にうまれたんだろう」と思っていました。五島で得ることができる情報はその頃、チャンネル4つ(NHKが2局)のテレビや雑誌や映画の中で、都会にはたくさんの世界があるのに、五島には小さな世界しかないと不満に思っていました。東京には何でもあるんだなあ、五島には何もないなあと。
母が山梨出身なので幼い頃から山梨に行く機会があり、車内から見る東京のきらびやかな世界に憧れ、私もいつか東京に行くんだ、と夢見ていました。英語が好きだったので島を出るために東京の英語を勉強できる大学を受験し、落ちまくり、ひとつだけ受かった大学に行きました。就職はせず、デザインなどの仕事をしながら、音楽をしたり、映像の学校に行ったり、劇団の研究生をしたり。

私は、なんとなく生きていました。なんとなく生きて、東京に行けばなんとなく何かが見つかると思っていたんだと思います。人波を軽やかにすりぬける自分になりたかった。でも何年たっても「何か」は見つからない、焦りました。明日何かが見つからなかったらどうしよう、どうしたらいいんだ、と。結果的に私は東京で何かを見つけることができませんでした。
親友には「ゆんたくん(と私は呼ばれている)は自分に負けたんや」と言われました。その通りだと思いました。そしてそう言った彼女は私よりも悔しがって泣いていました。

自分の無力さを痛感し、20年近く暮らした東京を去り、二度と戻ることはないだろうと思っていた故郷五島に満身創痍で戻りました。仲のいい友達はみんな島を離れていて、何をしたらいいのかわからず、なんとなく畑を耕し始めました。
そして2011年3月11日に東北地方で震災が起こりました。テレビから流れる映像にショックを受けました。パラダイムシフトです。モノに溢れ、きらびやかな都会に追いつきたかった自分の価値観が崩れ、自分が求めていた世界、豊かさとはいったい何だったんだ? これから私は何を思い、どう生きていくのかと、長い間自問自答し続けました。

震災で被害を受けた場所には故郷に帰れない人たちがいて、大切な家族や友達の命、そして写真や想い出や先人たちが紡いできた伝統や文化さえ奪われたひとたちがいる。
当たり前のように過ごしている日常は当たり前ではなく、小さな奇跡の連続なのだと。
私は故郷五島でもなんとなく生きてきたことに気づきました。五島のことを何もわかっていなかった。
私には帰る場所故郷五島があったというありがたさに気づきました。それも実家があり、両親をはじめ弟もいて、家族が私を迎え入れてくれたおかげです。私を受け入れてくれた五島に恩返しをしたいと考え『たゆたう。』をはじめました。
 
baraka1.JPG
たゆたう。(カフェレストラン&洋服雑貨)

店をはじめてから、故郷五島を注意して観察するようになりました。
五島は失われ行く日本の原風景が手付かずのまま多く残り、豊穣をもたらす力強い大地に恵まれ、安心安全な農作物や海産物が安価で手に入り、時間に追われて自分を見失うこともなく、地に足をつけて生活ができる。
そして、念仏踊りの〈チャンココ〉、国指定重要無形民俗文化財の〈ヘトマト五島神楽〉など先人たちが長い時間をかけて継承してきたオリジナルの祭りや風習がたくさんあります。

baraka2.JPG
 国指定重要無形民俗文化財〈五島神楽住吉神社 福江神楽保存会  
 
baraka3.jpg
下崎山地区の念仏踊り 〈チャンココ 
 
baraka4.jpg
嵯峨ノ島〈オーモンデー

baraka5.jpg
玉之浦 〈カケ踊り

五島の地形や地層は個性的で、海の色は深い青色をしており、白くて美しい砂浜が広がっています。入江が多く野趣に富む独特な海岸線をドライブすると「ワイルドだなあ」と浮かれてしまいます。世界でも有数の独特な地形を持ち、唯一無二でユニークな島だと自負しております。
 
baraka6.jpg
高浜海水浴場

そもそも私が『五島海のシルクロード芸術祭』をはじめたきっかけは、『福江みなとまつり』という五島の一番大きな祭りのメインの出し物が、青森県のネブタであることに違和感を感じたからです。商店街の活性化のために1957(昭和32)年に五島に持ち込まれたそうです。五島には、〈ヘトマト〉、〈チャンココ〉などの五島の土着のものが多くあるにも関わらず、他地域の祭りを五島に落とし込むという考えは、浮遊するアイデンティティであることは否めません。とは言え、年々形骸化して寂しさすら感じるとしても、五島のネブタ祭りはもう60年近くも続いているのです。私も幼い頃、ネブタの後ろからよちよちついていった想い出があります。幼い頃の私がそうだったように五島のネブタ祭りを毎年楽しみにしている人たちがいて、歴史と想い出があるのです。
それはもはや伝統になってしまっています。伝統とは何なのかと考えると「つくられるもの」としか答えようがありません。そして伝統に変化を加えようとすると、なにかしらのハレーションが起きることは想像に難くありません。
それでもやはり祭りは、五島の地に既にあるものでオリジナルの祭りをできたらと考えます。なぜならば本来「祭り」はその土地のプライドであり、魂であるからです。
「島を出ろ、島には未来がない」といたずらに子供達に言う大人たちの過怠と無関係とは思えません。私も幼い頃大人たちからそう言われ続けたからです。
私は五島の念仏踊り〈チャンココ〉の女性チームをつくりました。
初めは既存の〈チャンココ〉を踏襲して踊っていましたが、男性のみ、それも本来は長男だけしか踊れなかったチャンココを女性が踊るということに反発は必ず起こります。なので、「チャンココへのオマージュとしてのアートプロジェクト」と言い訳して継続していきたいと思っています。

baraka7.jpg
 『五島海のシルクロード芸術祭』2014年

 baraka8.JPG
『五島海のシルクロード芸術祭』で踊る杉原信幸氏 2015年

島には何もない、とよく言われます。島に住む人たちすら言います。私もずっとそう思っていました。
「何もない」という表現の「何」の実体とはそもそも何なんだろうと思います。
私が東京で狂おしくあてもなく求めた「何か」と一緒なのだろうかと。
それは物質なのだろうか情報なのだろうか、食欲もしくは性欲なのだろうか。
それは映画館であり、美術館で、本屋、ファーストフードでストリップ劇場なのだろうか。逆にそれが満たされれば五島には「何かがある」ようになるのだろうか。
私には何かが充たされるのだろうか。

「何もない」ということは実は「何でもある」のだと思います。
ないものは自分達でつくればいい。極力真似しないほうが楽しいと思います。
全くのオリジナル、というものがこの世に存在するのかは疑問なので、できるだけ真似をしないように作っていく。東京でも大阪でも長崎の真似ではない、五島だけのものをひとつひとつ作っていけばいいと思うのです。
五島はほんとうに楽園だからです。個人的におもしろいなあと思うのは、島に隠れキリシタンや仏教や神道などの宗教が混在している点です。教会がたくさんあり、空海の寄港地もあり、五島神楽もある。「神仏分離」政策の影響もなく、いまだにお寺と神社が混在しているところもあります。なんでもあり、という感も否めませんが、先人たちは、変化を恐れず多様な文化と交流を深め、他文化を容認する懐の大きさがあったのだと思われます。そのおおらかさのため、残念ながら五島の地が求めていない余計なものが持ち込まれたり、奪われてきたものもあります。そのために五島の八百万の神様と対話して、五島の地が求めるものを五島の地に戻す作業が必要です。

五島は縄文時代の息吹が未だ色濃く残る土地です。島が持つ原始的な力強さを取り戻し、自然に寄り添って、自給自足を視野にいれた持続可能な生活を送ることができる、それはとりわけ東北の震災以降、日本人が取り戻すべき本当の豊かさであると思うのです。謂わば島は都会では不可能に近い最先端の未来の生活を実践できる場であります。
    
baraka9.jpg
五島市岐宿町魚津ヶ崎

今私達は、五島に住む先人達がまいた種の収穫を当たり前のように享受して生きています。先人の恩に報いるために未来の子供達のために種まきをすることは当然の義務です。
島は日本の縮図です。高齢化や人口減少など都会よりも早いスピードで社会問題は起こっていきます。これから日本が経済的に豊かになるとはとても思えません。物質的な豊かさの尺度で都会と比較して「島には何もない」という自虐的な発想では、島はあらゆる意味で都会から奪われていくばかりです。都会のために地方が存在するわけではありません。どんな状況に陥っても、故郷に種をまくことをあきらめてはいけないと思います。種まきを続けて自分がいなくなった後に、故郷に実りがあればいいなと思います。
 
私の活動は、結果的に地域づくり的なことにもなろうかと思います。
今も趣味で畑をやっているのですが、畑仕事から学ぶことが多いです。
野菜づくりには大まかに分けると、化学肥料や農薬を使う「慣行農法」と農薬を使わず有機肥料を使う「有機農法」があります。
地域づくりを畑仕事に落とし込むとわかりやすいのですが、外部からもたらされる「地域おこし」や「まちづくり」はまるで化成肥料のようだな、と感じます。即効性が求められ、目に見えた効果を無理やりにでも探そうとします。
怪しいコンサルタント会社や自分がやりたいことを実現する場として地方交付税を狙って移住してきてやりたい放題の輩は、農薬のような役割にもなり得ます。いったんは効果があるように見えて、時がたてば土地を枯らしてしまうからです。化成肥料の分量を間違えれば作物は腐敗します。
そのため持続可能な野菜づくり、地域づくりは、農薬を使わず、有機肥料のように土地にゆるやかな変化を与え、微生物の働きを助け、発酵のようにゆっくりとした時間と丁寧な土づくりが最重要です。

私は五島の微生物になりたいです。個人的にはゾウリムシのファンです。
ゾウリムシの体内に太陽みたいなものがあってなんだか小宇宙のようなフォルムでとてもかわいいです。
緩歩動物のクマムシは水がなくても120年も生き、摂氏150度、マイナス200度のもとに数分間置いておいても死なず、真空に近い状態でも、強い放射線を当てても生き残る不死身の生物だそうです。強く凶暴で大きな体の恐竜でなく(絶滅しています)、体長1ミリ弱のクマムシが地球最強の生物だというのは痛快です。

都会や企業や宇宙などマクロなものに人は重きを置きがちですが、島をはじめとする地方や小さな地元の店や微生物のようなミクロなものの中に多くの人々が見過ごしている宝や無限大の可能性が潜んでいるような気がします。
宇宙は微生物の中にあるのではないのかなあ...と五島でぼーっと考えています。



baraka10.jpg
片岡 優子 KATAOKA Yuko  
1972年5月10日 長崎県五島市生まれ、ゴトウさんと結婚できればスリーゴトウ
『五島海のシルクロード芸術祭』発起人
特定非営利活動法人BaRaKa代表。
括動拠点『たゆたう。』にて閑古鳥退治に大忙しの日々。