コラム RSS

コラム 2016.01.20

#55 山浦彬仁(NHK秋田放送局)


『わたしたちにかかる制御不能な圧力を、それぞれの場所でそれぞれにささやかながらも対抗的に「押し返す」ことである。ささやかであってもそれらが集まれば、一つの力になる。そこに希望を託すことである。』(鷲田清一「しんがりの思想」角川新書2015)

花嫁道中に凝縮されている"秋田の力"
「ここが地球の真ん中です」と書かれたビックキャンドルが、雪深い峠の中で立っています。秋田県羽後町の七曲峠。冬の積雪が4メートルにも達する秋田でも有数の豪雪地帯。この峠では、毎年最も寒い1月に「花嫁道中」が行われています。町の中心部から10キロ離れた山の上の結婚式場まで、新婚夫婦を載せた馬そりが、急こう配の急カーブを時に立ち往生しながら登っていく。式場までの12キロの道のりには手作りのカマクラの中に、ろうそくが灯り、町の人たちが総出でお出迎え。「おめでとう」「お幸せに」馬そりに向かって口々にお祝いの言葉をかけてゆく。この花嫁道中を舞台に、にっぽん紀行「雪峠を越えて、私は嫁ぐ」(2013)という番組を作らせて頂きました。
yamaura1.png
yamaura2.png
 ※羽後町ゆきとぴあ七曲

しんしんと雪が降り積もる中での町上げての結婚式。なんと幸せな景色でしょう。誰もがうっとりするこの行事を取材してみると思いがけない"ねらい"を知ることになりました。それはまさに「時代への"押し返し"」としか言いようのない烈しい思いです。高度経済成長期、都市の光に吸いよせられる様にして若者が次々と出て行った羽後町。お嫁さん不足にも陥って、人口減少が半世紀以上前から課題となっていました。こうした中で30年前に、ここに残った若者が、最も魅力的に地元をPRしようと始めたのが、この町挙げての結婚式「花嫁同中」だったのです。正式名称は「ゆきとぴあ七曲」。彼らの目論見は、都会のきらびやかな光とは真逆の方向にありました。「薄明りの雪深い、尋常ではない寒さの日だからこそ、1年で最も美しい結婚式を作り上げることができる」。最も嫌悪されていた世界を引っ繰り返して、ユートピアを作りだそうとしたのです。そして今、ゆきとぴあの幻想的な世界に憧れを抱き、全国からも訪れる人は、少なくありません。
※東北Z「雪峠を越えて」

「光を背負ってきたのは、私たちの闇の背中じゃないですか」(土方巽)
秋田の冬実景.jpg
 全国最速で人口減少が進む秋田県。毎年1万人ずつ人口が減っているというこの町に、赴任してからもう5年が経とうとしています。民間のシンクタンクは、このまま人口減少が進めば25年後に秋田県は大潟村を除くすべての市町村が「消滅する」というショッキングな調査結果を発表しました。過去10年間で廃校になった学校は100校を越え、この5年間で全農地の25%が耕作放棄地に変わっています。確かに、統計が示す数字を見れば暗い闇しか見えてきません。しかし、この5年間、私が秋田で見てきたものは、「時代を照らす光」としか言いようのない取り組みばかりです。

白神山地の麓に位置する秋田県藤里町。高齢化率が40%に近いこの町には、これまで引きこもっていたなど孤立無業であった老若男女が、特産品の開発や、人材不足に悩む商店や公共サービスの担い手となっています。社会福祉協議会の5年間の取り組みによって、誰もが地域の中で、役割を担いながら生きて行く、包括的なコミュニティが生まれようとしています。(地域おこしアーカイブス「町おこしを担うひきこもり」

秋田県の南端に位置する東成瀬村では、日本で最も美しい村に選ばれるほどの山村。それゆえに、かつては「東成瀬村の出身である」ことを恥じて言えないという子どもが少なくなかったといいます。そこで自分と故郷を誇れる子どもになってほしいと考えた村では「正々堂々と意見を言える」教育を村の教育に据えました。受験学力ではなく生きる姿勢としての教育を30年近くも続けた結果、いつしか村は「学力日本一の村」と呼ばれるようになりました。いまではフィンランドなど世界各地からも東成瀬式教育の「言語活動」を学ぼうと教育関係者の視察が絶えない村になってしまいました。 (※地方発ドキュメンタリー「学力日本一 踊る教室」2014)
 ※東成瀬村教育委員会http://www.higashinaruse.com/?page_id=1887
yamaura3.png
yamaura4.png
ここに書いたのはあくまで一例に過ぎません。土方巽という秋田が生んだ舞踏家が自らの表現を「暗黒」と名付けたように、秋田には「現代の闇を光に変える力」があると私は確信しています。それは誰からか押しつけられた価値やフォーマットなぞるのではなく、大きな困難や、闇のような現実と対峙しても「どういう地域を作るのか」「何を目指して生きるのか」を皆で議論して、皆で一心に地域の中で生きてきたからこそ、見えてきた光なのです。人口減少が進む中で地べたから始まった秋田の「押し返し」こそが、時代の光となっているのです。

いま秋田で始まる「押し返し」のアクション。しかし今その"原風景"としていつも心に残るのは、AAF企画間交流プログラムでアートリンクプロジェクトで田野智子さんにお招きいただいた白石島で過ごした時間です。http://www.asahi-artfes.net/news/report/2009/11/
いやそれだけではありません。AAFネットワーク各地での取り組みを、社会の中で位置づけたときそれは「押し返し」に他ならないのではないでしょうか。

10年前から「押し返し」を始めていたAAFネットワーク
私がAAFに初めて参加したのは、今から10年前(!)の2005年。コミュニティアート・ふなばし(caF)の企画「千葉クリエイティブ・クラスター」はもちろん、ロビーコンサートや水上アートバス!などたくさんの経験と学びを頂くことができました。
AAFネットワークで繋がった各団体は「同じ会社の各支部」といったいわば同業者を越えた「社内同士」としか言いようのない連帯感があります。本当に恵まれたのは、千葉の生意気な若造を全国各地の皆さんが可愛がってくださいました。こうして過ごすことの出来た学生時代は、いまも大きな財産です。caF理事長・下山浩一がいつも口にしていた「社会とアートの最先端はシンクロする」という言葉の通り、AAF各地の活動はまさに、10年後の今日「社会のスタンダード」となっている活動が生まれていたのです。個別具体的にお名前を挙げればきりがないほど。2005年にAAFのキャッチフレーズが掲げた通り「さざ波はうねり」となったのです。AAFネットワークが見据えていた未来こそが、時代を切り拓いたのです。
当時、毎月の実行委員会だけでなく選考委員にも参加をさせて頂きました。その時に話されていた言葉こそ、私の考え方の指標の1つを作っていることは間違いありません。「よくわからないものこそ、積極的に支援したい」「今まで価値を見いだせなかった活動にこそ、可能性を感じる」。言うまでもありませんが、まさに「よくわからない」という創造性の中にこそ次の時代が潜んでいます。そしてフェーズを変えて見れば「よくわからない」と思考停止にも陥ってしまいそうな、暗黒ともいえる困難の中にこそ、時代の光が必ず見つけられることを、私は秋田で学びました。

『アートによって、これを人々が活かすことによって、創造性を回復することが重要なのだ。歩いていける範囲の中で、ほとんどすべての生活サービスを受けることができる、真の意味の循環型の回復も必要である。AAFは創造的で循環型の新たな市民社会を生み出すことを願っている。』(加藤種男「アサヒ・アート・フェスティバル2007ドキュメント」2008)

アート×テレビで地域を見つめる
2015年は、秋田の最重要課題「人口減少」をテーマに「2040-70万人社会と向き合う」というキャンペーンを立ちあげました。(http://www.nhk.or.jp/akita/2040/)
 hdロゴ)緑ベース01.jpg
これまで幾重にも報じられてきた地域の過疎化。改めてテレビができることは何だろう?と考えたときに真っ先に考えたのがAAFネットワークの仕組みです。それは市民と一緒になって地域の未来を見つめること。わかりやすい取り組みだけでなく、なるべく報じられていない活動や、評価されていないものを積極的にとりあげること。人口減少から立ち上がる課題と対峙する若手世代を「次世代フェロー」として巻き込みました。そして人口減少のような八方塞がりのような課題にこそ「創造力を持って地域を見つめる、眼差しの跳躍が必要ではないか?」と考えました。始まったのが岩井成昭さんとの「人口減少×アート」プロジェクトです。
yamaura5.png

数字や統計からみれば「地方消滅」という言葉は紛れもない真実です。しかし、「数字」ではなく、秋田で起きている「押し返し」を見れば、時代の光ともなるべき活動の数々が秋田では生まれている。統計では決して見ることのできない「一人ひとりの人生」に持ち込むことが出来れば、地方消滅に抗える言葉が必ずあるのではないか?―そんなことを考えていた自分は、大きな幸運に恵まれました。岩井成昭さんが今、同じ秋田で生活をしていたのです。10年前のAAFで「大凶かえって吉の兆――岩井成昭:おみくじアートプロジェクト」を繰り広げられていた、あの岩井さんが秋田にいるのです。消滅可能性都市というオドロオドロシイ言葉のレッテルが貼られた秋田には、岩井さんが「おみくじ展」でテーマとされていた、大凶か吉かをも大見心ではなく、自分で決めるという姿勢。誰からか与えられた物差しではなく、自分自身の物差しで物事を解釈していく姿勢こそが必要ではないか?そしてテレビ×アートプロジェクトが実現することになりました。ここでの詳しい説明は省かせて頂きますが、展覧会は2016年1月31日までNHK秋田放送局で開催中です。そして、このドキュメンタリーが1月29日に全国放送される予定です。
トロフィー紹介写真.jpg
 
私がいま仕事に携わるようになった原点は紛れもなくコミュニティアート・ふなばしでお世話になった方々とAAFの中で各地のディレクター、アーティストが始めた「物語の掘り起こし」にあります。そして今働く中でAAFネットワークの"まなざし"こそが紛れもなく今の自分の考える物差しにもなっています。これからもAAFネットワークの一員として仕事をすると同時に、いま大人になっていろんな形でご一緒できることが嬉しくてたまりません。
 

yamaura7.png
山浦彬仁 YAMAURA Yoshihito
NHK秋田放送局ディレクター
1986年生。中3の時に千葉県佐倉市で同級生と始めた情報誌づくりをきっかけに市民活動に参加。以後「市民参加」に関心を寄せながら10年間をNPOセクターで過ごす。コミュニティアート・ふなばし事務局長、共同通信社熊本支局勤務を経て2011年NHK入局。2015年は「人口減少」キャンペーンを担当し、東北Zスペシャル「どんとこい!人口減少Ⅰ&Ⅱ」や、ドキュメント72時間「秋田 真冬の自販機の前で」などを制作。秋田で2児の父親になる。