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コラム 2015.12.20

#54 朝倉由希(一乗・創造の谷プロジェクト)


小さいころから何故か、「人にとって豊かさとは何だろう、人が豊かに生きるということはどういうことだろう」、ということをずっと考えていた。また一方で、音楽が好きで、ピアノやフルートを趣味とするなかで、芸術が心に直接うったえかける力があることや、人と人をつなぐ力があることは、漠然と感じていた。

人間の心の不思議を探求したかった私は、大学では心理学を学んだが、学業よりも所属していた学生オーケストラ活動にのめり込んだ。大学4年間をほとんど音楽活動に費やし、それでも音楽やそれを支える仕事に就くという選択肢は持たないまま、一般企業に就職した。仕事は仕事と割り切り、音楽は趣味で一生続けるのが健全なあり方だと思いこんでいた。
だが、会社に勤務しながら世の中の流れを知るなかで、人も社会も閉塞感におおわれていると感じるようになり、自分には何ができるのか、何かしなければならないのではないかと思うようになった。社会人3年目には、会社勤務後に臨床心理学を学ぶスクールに通い、心について再度勉強するようになった。しかし人の心について探求するだけでは不十分な気がした。個人個人が生きたいように生きられ、多様な生き方やあり方を受け入れる社会でなければ、結局は何も解決しないのではないか。
私はそれまでの人生で、音楽に救われ、生きる力を得たことが何度もあった。一人の人間の心に音楽が作用するように、社会全体が生き生きとして豊かで多様であるためにも、アートが重要な役割を果たすのではないか。それを実現できるのが、アートと社会をつなぐ仕事だ、というイメージがパッと湧いた。そして会社を辞め大学を再受験することを決意し、アートマネジメントや文化政策の道に足を踏み入れた。今思えば若さゆえの勢いで、大いに論理の飛躍があったかもしれない。とにかく社会にとってアートは大切だ、その思いひとつで突き進んだ。

ちょうど当時文化庁長官になられた心理学者の故河合隼雄氏が、「うつ病も不景気も、英語では同じDepressionという。うつ病の人が、創造的な活動を通じて自分の生き方を取り戻し回復を遂げていくように、不況で元気のない現代の日本社会への特効薬も、文化的で創造的な活動に皆が参加していくことである」というような主旨のご発言をされていた。まさしく自分のイメージに重なり、我が意を得たりと思ったものである。

さて、それから文化政策・アートマネジメントの分野で研究と実践の二足の草鞋を履きながら活動してきている。様々なアートの取り組みに触れる中で大いに刺激を受け、自分の考え方も様々に広がっている。よく人に、何をやっている人なのか分からないと言われるが、自分でもうまく説明できない。ただ、文化が社会全体にとって、地域発展にとって重要な基盤であるという原則だけはずっと変わらずに心に抱き続けている。

そんな中で、2012年に実家のある福井市の一乗谷に戻ることになった。
帰ったらこれまでの経験を活かして必ずアートプロジェクトをやろうと決めていた。

一乗谷は、四方を山に囲まれた谷間にある地区で、戦国時代に城下町として栄えた場所である。応仁・文明の乱で荒廃した都を逃れ、多くの公家、僧侶、文人、芸人などが活動基盤を越前に求めこの谷にやってきた。その数は100名を超えると言われ、彼らが都から持ち込んだ文化を一乗谷の武士や町人は貪欲に吸収し、この土地の風土と適合させることで、「朝倉文化」と言われる華やかな文化が花開いた。当時は一大文化都市であったのだ。
また戦国大名朝倉氏は、様々な芸能の保護育成に努めた。家訓の中に「大和四座(奈良で活躍していた猿楽の座)をたびたび越前に呼んで見物することは良くない。その費用で地元の芸能者を育成する方が後代まで有益である」という記述があったり、陶磁器なども海外の技術を取り入れつつ地元の材料で地元の職人に作らせていたり、いわば「文化の地産地消」に努めたことが分かっている。このような芸能や文化の保護育成は、個人的な趣味嗜好のために行っていただけではなく、政治的な安定にもつながっていたとされる。朝倉氏は武力ではなくソフトパワーで国を治めた、現代にも通ずる優れた文化政策を行っていた大名と言えるのではないか。
(ちなみに自分は名字が同じなので、朝倉氏の末裔ですか、という質問を度々受ける。そうではないが、ただ「名にし負わば」という気持ちは持っている。都市づくりにおいて文化を重視した戦国大名朝倉氏の精神を誇りに思うし、偶然同じ名前に生を受けた私がこの地でアート活動を行うことも、勝手に必然的なことのように考えている。)

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 一乗谷の全景

AAFの存在やその活動内容は、研究対象として当然以前から知っていたが、実践者として参加し始めたのは、故郷一乗谷でのプロジェクトを始めたことがきっかけだ。故郷とはいえ、17年程も離れていた地元で、いきなり個人で活動を始めることは思いのほか大変だった。自分の想いを周囲にうまく伝えられずに、とても落ち込んだこともある。AAFのネットワークで出会った人たちは、それぞれの地域で、真摯に課題に向き合い、地域社会や世の中の状況をなんとか少しでも良い方向にもっていこうともがいている。その姿に勇気をもらい、悩みを共有することでまた一歩踏み出す力をもらっている。ひとつひとつの活動は小さいかもしれないが、このようなひとつひとつの小さな動きがうねりを生み出すのだと実感している。

一乗谷は、近年行政が一乗谷朝倉氏遺跡への観光誘客に力を入れ始めメディアの露出が増えたことで、その名前は全国的に知られるようになった。しかし一方で、地域全体は過疎が進み、少子高齢化が進む。確かに遺跡は文化的・歴史的価値の高い重要な資源であるがそれは点でしかなく、またメディアの力は一過性のものになりがちだ。一乗谷の中の地域一体に魅力的な場を作り、地域全体が持続的に様々な人をひきつける場になっていくことが必要なのだ。そのために文化創造拠点を作っていきたいと思っている。いくつか創造拠点を作り、そこに外からのアーティストや若い学生たちが関わり、住民と交わって協働で様々な面白い取り組みをしていきたい。それが私が思い描く「創造の谷」の姿だ。幸いわが実家はお寺なので、まずはお寺を拠点として気軽に地域内外の人々が集えるような活動を定期的に行い始めた。

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 映像と音のワークショップ 上映会の様子

子どものころ親や周りの大人たちから「ここは何もない、仕事も面白いことも何もないから、都会に出て、帰ってくる必要はない」と言われて育った。でも私は今地域にいる子どもたちに、面白いことは地域の中にたくさんあるということを伝えたい。ここには自然があり、美しい水があり、美味しいお米がとれ、人々の知恵が残り、伝統的なお祭りがあり、豊かな歴史がある。これらを活かしながら、地域の文化は自分たちで作れば良いのだ、ということを伝えたいと思っている。私が活動することで、そのような空気を地域に吹き込むことが出来れば良い。
まだまだ活動は緒に就いたばかりであり、実現したいことの1000分の一もできていないが、ゆっくりと小さな挑戦を続けたいと思っている。


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朝倉由希 ASAKURA Yuki
福井県福井市生まれ。京都大学文学部卒業。3年間の企業勤務を経て、東京芸術大学に音楽環境創造科が創設されたのを機に一期生として入学。同大学で様々なプロジェクトを経験しながら、文化政策や芸術文化事業の評価をテーマに研究活動を行う。同大学大学院応用音楽学に移り、2009年博士課程修了。博士号取得。2009~2012年、東京藝術大学アートリエゾンセンター学術研究員として、大学と地域の連携による文化事業企画運営に携わる。2012年に故郷の福井市に戻り、2013年地元一乗谷で「創造の谷」を立ち上げAAF参加。現在、静岡文化芸術大学、福井県立大学、東京藝術大学の各非常勤講師。