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コラム 2015.10.20

#52 コタケマン(セルフ祭)


「今年は焼きそばUFOやなくてSPA王でしたー」
この言葉で、ここ2、3年ほど恒例になってきている、相撲でUFOを呼ぶ儀式を終え、9月20日、21日、23日の3日間開催した、今年で4年目、だいたい10回目くらいの「セルフ祭 2015」の幕を閉じました。
祭の締めの言葉がなぜ「SPA王」なのかは後ほど説明させていただくとして、まずセルフ祭がうまれた経緯を書かせていただきます。

◎「セルフ祭」のきっかけ

ぼく、コタケマンは本業は芸術家でして、今から10年ほど前に「家をまるごと作品にしてしまおう!」と思いつき、「セルフ屋敷」という名前の一軒家を作品にする生活をしていました。
うっかり6年もかかってしまったのですが、ようやく完成した2012年に、大阪の新世界一帯でアートイベントをしている団体から「新世界市場で "何か" やってくれへん?」と声をかけられました。
通天閣と串カツの街「新世界」には『新世界市場』という、昨年100周年を迎えた商店街があります。通天閣がすぐ近くにそびえ観光客でいっぱいの立地にありながら,古びたアーケードでうす暗く、半数以上の店舗がシャッターを閉めていて、一歩足を踏み入れるとタイムスリップしたかのような異空間さが、ぼくはどうも気になって、以前から方々で「好きや好きや」と触れ回っていました。
声をかけてくれた団体からしたら "何か"=作品の展示くらいで考えていらっしゃったのでしょうけど、ぼくからしたら6年も家(作品)にこもっていた反動で、6年のウップンを晴らすかのごとく「祭じゃー!」と表現の手段を祭にしたのがことの発端でした。

とりあえず携帯に入ってるア行から片っ端から電話をかけて、芸術家やミュージシャンの友達、昔の同級生やバイト仲間、街で会う人、道で歩いてる変な人まで、 会う人会う人に「祭せーへん?」と声をかけました。

ぼく自身、明確な「祭」のビジョンもなく、勢いで「祭」と叫んでいただけなので、当然声をかけられた人達も何をするのか伝わっていなかったのでしょうけど、「ようわからんけど何かおもろそうやからやるわ」とたくさんの人が参加してくれることになりました。
今思うと、その「ようわからんけど何かおもろそうやから、やる」の集合体がうねりになって、今まで普通の生活をしていた人にまで冬虫夏草のように寄生して飛び火し、謎のパワーを産み、"ようわからんまま"「セルフ祭」の屋台骨になっている気がします。

話がそれましたが、祭を開催するにあたって「新世界市場」の了承を得るために市場会議に出席させてもらい、「みなさん一緒にお祭りしませんか!」と投げかけてはみたものの、いかんせん半数以上がシャッターを閉めている商店街であり、大半が60歳越え、80、90歳超えて現役でやっていらっしゃる店主のみなさんには「はぁ?」という反応だったので、「人もたくさん呼びますし、掃除だってしますよ」と言ってみたところ、「おお!掃除してくれるのか」「それはありがたい」「掃除、掃除、掃除」と祭そっちのけで反応されてしまい、友人たちにたくさん協力してもらって、長年たまった猫の死体や糞だらけの商店街の天井や床、空き店舗の"そうじ祭"を決行しました。
その甲斐あって、市場のご老人方の公認で、新世界市場全体や空き店舗を使って祭をする了承を得ることができました。

ただ、「祭」という大風呂敷を広げたものの、6年も家にこもって家を作品にするような生活をしていたわけですから、全財産が3万円しかなく、祭の運営資金を3万円に収めるため、ホームセンターで木材一本を買って借りた無料レンタルのトラックに、家にあったガラクタや粗大ゴミを詰め込んで商店街に運び入れ、アーケードに吊ったり、ダンボールや布団シーツに手描きで看板を作りました。

また、いざ「おもろそうやからやるわ」と人が集まったところで、家一軒を作品にするのに6年もかかってしまったような人間に、たくさんの人をさばく能力もあるはずもなく、こっちはダンボール看板とガラクタを吊る作業で手一杯のパンク寸前で、
「出店はどこにだしたらいいの?」→「セルフで」
「ライブはいつやったらいい?」→「セルフで」
と、祭直前は、ほぼ「セルフで」しか言葉を発していませんでした。

そもそも「セルフ祭」の名前の由来は、ぼくの6年かかった一軒家作品「セルフ屋敷」が完成した際にセルフ屋敷内でやったイベント名が「セルフ祭」で、そのイベント名を使い回しただけのものでした。それでもぼくが追い込まれて放った「セルフで」を参加者それぞれが解釈してくれ、「セルフステージ」や「セルフみくじ」「セルフ音頭」「セルフ風呂」まで作ってくれたりと、文字通りの『セルフ祭』になりました。

◎「セルフ祭」開幕

そんなこんなで「セルフ祭」をなんとか開催までこじつけたのですが、当日いざ蓋を開けてみると、太鼓叩いて雄叫びあげて走りだす人もおれば、ダンボールにセルフステージと描いた看板を置いただけの場所でずっと踊ってる人、ホームレスのVJ、ホームレスの詩人、大阪ホームレスビックバンドというホームレスのバンド、アーケードに吊ったガラクタに混じって全身蓑虫の格好をしてずっと吊られっぱなしの人がいたり、落ちてた風呂桶に水を入れただけのセルフ風呂に知らないおっちゃんが裸で入ってたり、上半身裸でズラをかぶって謎の呪文を唱えている、もはや日本人かどうかもわからない人など、営業中の商店街であり公道であるというのに、あたかも無法地帯になっておりました。

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3日間行われた祭の大トリで、大阪の道頓堀のカニ道楽などのド派手な看板を制作してる立体看板屋さんに借りてきた「4mの大きな手」のオブジェを神輿代わりにして、友人のドラマーに乗ってもらい、新世界一帯を練り歩き、途中、ヒョウ柄の服を着た大阪のおばちゃんを乗せたりしながら、通天閣の真下で4mの大きな手を建て、盆踊り的な行為をし、着ぐるみのパンダを乗せて新世界市場に戻るといった「祭」を行いました。

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ぼくがキャパオーバーで「セルフで」と参加者に投げっぱなしにしたと言いましたが、ただ、何も決めずに行うからこそ生まれる "何か" があるはずだ、という考えも多少入っていて、これこそが一番求めていた「祭」で、「祭」という行為は、"場所" と "そこに集う人" から産み出される "熱量" が一番重要だ、と考えていました。
そのためこの "手神輿" は、参加した当の本人たちもこれから何をやるかわからずに行った行為だったのですが、企画して練習して決められた時間に行うものには決して生まれることのない "熱量" を得ることができたのではないかと思っています。
まあそんなこんなで無事かどうかわからないですが、第1回セルフ祭を終えることができました。

◎セルフ祭のその後

そのような行為をやったわけですから、当然、警察はもちろん、声をかけてくれたアートイベントの団体、新世界の街の人からもしっかりとお叱りを受けました。しかしセルフ祭の会場になった「新世界市場」の店主さんからは、「こんなに人が来たん久しぶりや、昔はもっとすごかったんやで」と思いのほかよく言ってくれる方も多かったのです。
また、祭に向けての掃除準備カタズケ、なにより上記の「手神輿」を共有し、"祭" 熱に侵された人たちがたくさん集まってくれ、せっかくの熱量を冷ますのはもったいない、と、その仲間たちと一気に祭を畳み掛けることにしました。
結果的に、2012年の5月の末に1回目のセルフ祭を開催してから、その年は半年で6回セルフ祭を開催しました。
月イチの祭でした。月イチといっても3日連続開催したり、場所も新世界市場以外でやったりと、移動や準備、カタズケもあるので、もう毎日が祭でした。
いやあ本当に祭でした。世の中のほとんどの祭が、年に1回の理由がわかりました。

その半年間に6度開催したセルフ祭の内容は、今思い返すだけで嘔吐してしまいそうで、はしょらせていただきますが、その次の年からは、年1回にしよう、と新世界市場でのセルフ祭は、市場のお店をやってる人がおじいちゃんおばあちゃんが多い理由から、敬老の日を含んだ三連休のみにすることにしました。
けれどもその後も、鹿児島のアートイベントでセルフ祭を開いたり、大阪のデモ団体に声をかけられてセルフ祭パレードを開いたり、今年も、セルフ祭のメンバーが芸術家として参加させていただいている、AAFの参加団体でもある「原始感覚美術祭」にて、AAFの交流プロジェクトとして 「原始感覚セルフ祭」を開かせていただいて、セルフ祭のメンバー20人ほどが乗り込んで随分と騒がせてもらったりと、結局のところ仲間たちがそれぞれ「セルフで」祭を開いていくので、年に1回ではなくなってしまっています。

結果的には、1年目に月イチで祭を行い、毎日ケなしのハレが続いたことが、「祭」に一番必要な "熱量" が冷めることなく沸騰した状態を保つことができ、祭のメンバーもハレ人間たちばかりが集まったことで、今年も4年目の明るく元気なセルフ祭を迎えることができているのだと、いいように解釈させていただいております。

◎セルフ祭から生まれたモノ

《仮装をする》
1回目のセルフ祭の宣伝方法は、ぼくがSNS音痴なのもあって宣伝手段がなく、以前に友人のバンドに頼まれてミュージックビデオ用に作った着ぐるみが3体あったので、仲間たちとその着ぐるみを着て、ホウキに手描きの段ボール看板をとりつけたものを掲げて、手描きチラシのコピーをまきながら、鍋やヤカンを叩きながら「セルフセルフ」と叫んで行進していました。
祭の準備の休憩がてら「ちょっといっとく?」みたいなノリで、そこにいたメンバーと、着ぐるみを着て新世界周辺や道頓堀のグリコの看板前なんかをパレードしたり、雑誌の編集部に、宣伝してくれー、と乗り込んでいったりと、そんな行為を毎日してました。
着ぐるみは3体しかないので、準備メンバーが多く集まった日には、アンパンマンのお面に適当にペンキかけたものをかぶったり、中にはゴミ袋かぶって目の所に穴あけているだけの奴もいました。
もはや宣伝になっているのか、自分たちもはたして祭の宣伝をしてるのか意識すらもあいまいのまま、「今日もいっとく?」と、夜な夜なパレードを行っていました。この行為が、今思うとセルフ祭の基盤になってしまった気がします。

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やがて祭当日も着ぐるみ、お面をまとって、新世界一帯をパレードしてまわり、最後に、上記の「手神輿」を行うことになってしまいました。さらにセルフ祭の2回目以降は、仲間たちは自分でお面を作ったり、作ったお面に合わせて衣装も用意して、パレードを行うようになりました。
そうして祭を重ねるうちに、お面を付けてたら暑いし喋りにくい、とお面をはずすメンバーも増えはじめ、でも素顔のままは面白くないと白塗りをしたり、頭に泥を塗って植物を植える奴もいたりと、もはや着ぐるみを着る人はいなくなりました。
そして、せっかく白塗りして仮装したのにパレードが終わって着替えるのもめんどくさい、と祭の時間帯はずっと仮装のままとなっていったのです。

そんなタイミングで、御堂筋という大阪の一番大きな道路が歩行者天国になるイベントで、着ぐるみを着てアートパレードをしてくれないかと声がかかりました。しかしもはやみんなの仮装熱を抑えることは出来ず、白塗りや泥人間、ただのフンドシ一丁の男など、何かしらの仮装をしたものが数十人集まって、段ボール運んでるおっちゃんから借りてきた台車をガラクタで装飾し、太鼓を積み込みんだ「神輿のようなもの」を3台投入して、御堂筋を練り歩き、交差点で神輿を建てて踊る、"祭"を行いました。

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毎回セルフ祭は音などの苦情で怒られるのは恒例なのですが、この行為はコテンパンに怒られ、パレード終了後に開く予定だったセルフ祭も中止させられ、その後、半年間の大阪府の文化施設出入り禁止処分を受けたりもしました。
そのような行為を経て、4年目の今年のセルフ祭は、出演者のみでなく、食べ物を売っている出店者やお客さんもほとんど白塗りや仮装をしていたり、頼んでもいないのにリアル「紅の豚」や「進撃の巨人」に扮した人間など、変な人が勝手に来ていました。さらにデコレーションをした改造バイクで午前中に市場に乗り付けた暴走族風の兄ちゃんもいたのですが、乗り込んだものの何をしたらいいかわからず、セルフ祭のレンタル仮装コーナーでの衣装を着て、白塗りして、改造バイクの横で下向いて座っている姿を見かけた時、今回個人的に一番笑いました。
もはや、「着ぐるみに集まってくる人に祭の宣伝をする」という当初の目的は完全に失なわれ、ただの奇妙な集団の祭になってしまったのは、そのような事情でございます。

《儀式をする》
セルフ祭をきっかけに大阪に滞在することになった3人が、祭の事務所として借りていた新世界市場の空き店舗に住みはじめ、祭で培ったガラクタをそこらじゅうに取り付ける装飾を始め、知らないうちに「ピカスペース」というわけのわからない呑み屋にしてしまいました。そこに、セルフ祭の参加者やお客さんが常連客になって、変なイベントばかりしていて、そのイベントで生まれたノリを次のセルフ祭で披露するといった関係がつくらていったりしました。

ただ、祭があまりにも笑いを取りにいく一発芸的なものばかりになってしまったので、3年前くらいから、もっと祭に向きあおう、と "儀式" をすることにしました。"儀式" と言っても、結局のところみんな仮装をしているし、一発芸からは神聖な儀式にはなりようもなく、つながったフンドシを引っ張りあって市場の最長老のおばあちゃんがハサミをいれる「フンドシカットの儀式」や、仮装した人たちが市場の入口に整列する「変人並べの儀式」だったりするのですが、他の祭と同様に、そんな儀式でもここ数年恒例化してきているので、もし10年100年続くことになれば、人から人へ受け継がれていき、これも伝統となり神格化していくのかもしれない、といい風にとって念じております。

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また、セルフ祭のメンバーにはたまたまぼくも含めて相撲好きが多く、みんなで大相撲の大阪場所を見に行ったりしていました。それだったらセルフ祭で相撲をしよう、と新世界市場の空き地に土俵を作り、様々な相撲をするようにもなりました。
3年前のセルフ祭の準備で土俵を作っていた際に、「どっか外国に相撲しにいかへん?」という話になり、去年、3人で "インドへ間違った相撲を広めに" いきました。ガンジス川沿いで3週間ほど毎日勝手に相撲大会を開き、インドで調達したもので衣装や小道具を作り、人が集まってくるように儀式的な行為をしてインド人相手に相撲をとってました。
ちなみに映像ですが、こんな感じになりました。

この「インド相撲」も、セルフ祭の恒例の儀式になってきております。

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またセルフ祭のメンバーには宇宙やUFO好きも多く、去年のセルフ祭で「UFOを呼びたい」と宇宙人の仮装をしだしたメンバーがいて、UFOを呼ぶ儀式をし、もしUFOを呼ぶことが出来なかった場合にと、釣竿の先に"焼きそばUFO"をしこんでいて、結局呼ぶことができず焼きそばを出す、といった茶番をしてました。
今度こそ!と今年のセルフ祭の千秋楽でも、インド相撲からUFOを呼ぶ儀式で臨んだのですが、結局UFOは来てくれず、今年は釣り竿の先にSPA王をしこんでおり、この文の冒頭に書かせていただいた「今年は焼きそばUFOやなくてSPA王でしたー」で今年のセルフ祭の幕を閉じたのでありました。

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最近のセルフ祭は、相撲派とUFO派に分かれつつあるのですが、相撲派のぼくからしたら、来年は本当にUFOが来て、宇宙人の格好をしているUFO派のメンバーをみんな宇宙に連れ出してほしいと願っています。

◎今年のセルフ祭を終えて

実は今年のセルフ祭は、私用があり3日間のうち最後の1日しか参加できませんでした。自身の個展と時期が丸かぶりで、準備もほとんど参加できなかったのですが、セルフ祭の今までの参加者や、呑み屋ピカスペースの常連さんたちにも祭の運営メンバーに入ってもらい、1回目以来の「セルフで」と丸投げさせていただいて臨んだ、ぼくの中でとても大きな意味を持つセルフ祭でした。
私用を終え、最終日に祭会場に行くと、いつも通りというよりいつも以上の活気があって、祭終了後に見せてもらった写真を見ても、どれも去年の祭より変化しつつも盛り上がっている様子で、うれしいような寂しいような複雑な気持ちになりました。
これが "伝承" として引き継がれていく祭であり、"伝統" として時代と人と共に変化していく祭の本質ではないかと思い込んで、自分を慰めております。

ぼくは芸術家であるはずなのですが、実際に祭では、掃除や挨拶まわり、ステージで踊って、相撲をして、警察に怒られて、謝って、と芸術作業は一切していない状態で、"祭" とか "儀式" とか、一体何をやっているんだろう、と自問自答してしまうことも多々ありました。
しかし祭でできた仲間たちが仮装をしたり芸をしたりしてどんどん自分をさらけ出して変化していく姿を見たり、今年、人数が倍以上に増え、アート畑では関わることのなかった会社員や主婦、小学生の子供たちもいる祭の運営メンバーたちと、去年より2倍の広さのテーブルを囲んで行った打ち上げで、ハタから見ると何の集まりかまったくわからない集団が笑顔でぐちゃぐちゃになってる姿を見ると、セルフ祭をして「祭がどうだ」とか「儀式がどうだ」といったことよりも、こんなに周りから「アホや」と言われるようなことを共有して本気で一緒に出来る素敵な仲間がいることが、セルフ祭をした中で一番の財産だと思うのです。

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◎セルフ祭の今後

本来の祭のように、セルフ祭が、ぼくを含め今いるメンバーが全員いなくなっても続いていくように、どんどん人が集まってくるようにもっともっと間口を広げていくこと。また、セルフ祭は大阪の新世界市場だけでなく、"自力で新しい祭をつくる=セルフ祭" といった発想で、何処でも誰でもセルフ祭ができるように活動をしていきたいと思っています。
もう「1500字前後」の制限をはるかに超えてしまっていて、いつものセルフ祭のように怒られてしまいそうなので、この辺で終わらせていただきます。
最後に、「己を祭れ」がセルフ祭のキャッチコピーなのですが、己を祭りたい方、いらっしゃいましたら是非セルフ祭に参加しにお越しください。お待ちしております。
また、「私も自分で祭を開きたい」って方がいらっしゃいましたら、是非セルフ祭してください。
ぼくでよければ、何なりと協力させていただきます。何を聞かれても「セルフで」って言うだけでしょうけど。


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コタケマン
大阪在住の画家。でありながら、6年かけて一軒家をまるごと作品「セルフ屋敷」にしたり、大阪・新世界で新しいお祭「セルフ祭」を興したり、インドにまちがった相撲を広めに行ったりしている。
【近年の主な活動】
 2012年
 ・「セルフ屋敷」の公開。(@大阪/住之江区の一軒家  )
 ・「セルフ祭」を立ち上げ、半年で6回開催。(@大阪/新世界市場など)
2013年
・太陽大感謝祭「1000人ドラム」のやぐら制作。(@大阪/万博記念公園)
2014 年
・インド人に「間違った相撲」を教えに行く。《ぬけぬけJAPAN》(@インド/バラナシ)
2015年
 ・三戸なつめ「前髪切りすぎた」のミュージックビデオ監督
など