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レポート 2015.09.18

2015交流支援プログラム レポート07 非公式物産展→隠岐アートトライアル実行委員会


2015年、7番目のレポートを公開いたします。

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<開催概要データ>
[企画名]隠岐アートトライアル訪問 --それぞれの試みを知るために
[実施日]2015年8月23日(月)〜27日(木) 
[招聘者]隠岐アートトライアル実行委員会【島根県隠岐郡西ノ島町 】
[訪問者]大村みよ子(非公式物産展【全国各地で活動】)

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<レポート>
 西ノ島町へ行く2週間ほど前のこと。栃木県日光市足尾の納涼祭の準備のため、シンブンシャ・プロジェクトに滞在する私のもとに、隠岐アートトライアルの田島史朗さんから「5センチ程度の丸くて平たい石を隠岐に持ってきてください」というメールが送られてきた。さっそく近くを流れる渡良瀬川で、言われた石を中学生とともに探した。このあたりの石は角ばっているものが多かったのだが、平らなおにぎりのような白い石と、500円玉くらいの大きさの黒い石をなんとか見つけることができた。

私の隠岐アートトライアルへの印象は、2012年の『美田小の実験』が強い。ただそれは、実際に現地に赴いての印象ではなく、AAFの報告会で見聞きしたプレゼンテーションによるものだ。 夜の学校を会場にした展覧会の美しさには心惹かれたが、一方で「廃校を利用した展覧会」というスタイルは正統派アートプロジェクトのようにも感じ、また、規模の違いからも自分の活動とは距離を感じていた。 

隠岐アートトライアルへの認識が間違っているのではないかと思い始めたのは、昨年のAAF2014ネットワーク会議の時からだった。プレゼンテーションの中で頻繁に出てくる「イカ」。イカが島の特産品以上の扱いを受けていることが妙に気になり、私は隠岐アートトライアルの実行委員に、「なぜイカなのか?」「どのようなイベントをするのか? 作品になるのか?」と何度も尋ねたことを覚えている。
考えてみれば、このプロジェクトの名称は『隠岐アートトライアル』だ。期間限定のイベントとして島の内外にアピールするのであれば、前身の企画である『外浜まつり』のように〈まつり〉や〈フェスティバル〉〈芸術祭〉と銘打ったほうがわかりやすいようにも思う。
なぜ〈トライアル〉と呼ぶのか。私は「トライアルには『プロジェクト全体の試み』と、プロジェクトに関わる人『それぞれの試み』というふたつの意味合いがあるのではないか」と考え、それ を確かめるべく、西ノ島町を訪れた。

今年の隠岐アートトライアルは「岩/石」に重点を置いたイベントがメインとなることは事前に聞かされていたが、実際に島を訪れ摩天外や通天橋の壮大な景色を見ると、島自体が巨大な岩のようにも思え、「岩/石」に対する実行委員達のこだわりも、島における信仰の対象としての存在感も素直に理解できる。海沿いの巨岩の近くでは南方系と北方系の植物や高山植物が共生しており、その独特の植生も興味深い。

 興味深い話は今年の隠岐アートトライアルの中にもあった。

隠岐アートトライアル実行委員長で焼火(たくひ)神社の宮司でもある松浦道仁さんによると、2004年に台風による強風で、焼火神社本社の上に立つ木が倒れたことがあったそうだ。その木を撤去しに本社横の巨岩の上に登ると木は根元から倒れており、そこからたくさんの玉石が出てきた。焼火山山頂に近いこの場所に丸い石はほとんどない。
「人為的に置いた石だと思うんですよ。お賽銭のかわりだったんじゃないかな」と、松浦さん。
「とにかく玉石を拾って持って登って、そこにみんなで置いてみようと思ってね。置いてみて何を感じるか。置いた人の気持ちになって、もしかしたら何かわかるかもしれないし、何もわからないかもしれないし」。

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焼火神社が入り込んだ岩の上に玉石がある

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岩の上からの景色

8月24日に実施されたイベント「岩の語りべと隠岐の岩」は、この偶然出てきた玉石のエピソー ドがもとになって企画された。20名程の参加者が、短い距離だが決して歩きやすくはない山道を登り、それぞれの地から持参した石を例の巨岩の上に置く。島と海を見渡せる巨岩の上には松浦さんの言う通り、たくさんの玉石が置かれており、その玉石の中から薄くなった寛永通宝を見つけた参加者もいた。玉石はやはりお賽銭のかわりだったのだろうか。お賽銭といえば私が石を持ってきた足尾はかつて銭座であった。この玉石の中で一番遠くから運ばれたのはどの石だろう、どんな人が置いたのだろう、と想像は膨らむ。そして私はふたつの石を置きながら、ふと「松浦さんの自由研究に付き合ってるみたいだな」と思いうれしくなった。中学生と探した石を運んで置く、その私の行動もどこか自由研究的だ。
このイベントのきっかけとなったエピソードを持つ松浦さんは、石を置いて何を感じたのだろうか。

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私も岩の上に足尾から運んだふたつの石を置いた

実行委員とともに島を巡りながら見た「イカ寄せ浜の看板」や、元波止分校のインスタレー ション「砂鉄の物語」も、作品化へのきっかけとなるエピソードを持つ。長年にわたる実行委員と住民間の丁寧なやりとりは、多くのエピソードを掘り起こしてきた。それは、時には島が抱える問題を詳らかにすることもあるが、多様なエピソードを通して作品をみることは、鑑賞とも観光とも違う体験であった。
隠岐アートトライアルの企画は誰かの個人的な興味や関心に端を発して調査が進められることが多く、作品やイベントを質的調査の成果として見ることもできる。そして、島の生活の中でクリエイティビティを発揮する実行委員や、巨岩に登る前に聞いた「もしかしたら何かわかるかもしれないし、何もわからないかもしれないし」という松浦さんの話を思い出しながら隠岐アートトライアルを表そうとすると、作品/イベント/ワークショップと呼ぶより も、やはり「地域の自由研究」と呼ぶほうが私にはしっくりくるのだ。

先に述べた通り、私は「トライアルには『プロジェクト全体の試み』と、プロジェクトに関わる人『それぞれの試み』というふたつの側面があるのではないか」と考え、今回の交流を申請した。実は〈それぞれの試み=プロジェクト全体を動かす為のそれぞれの苦労や努力〉のような、ある種の自己犠牲的な話が出てくることを漠然と想定していたのだが、滞在中そのような話を聞くことは少なかったし、私から積極的に聞き出すこともしなかった。実際にプロジェクトを体験してみて、大して意味のある質問のように思えなかったからだ。私が西ノ島町の滞在で見ることができたのは、プロジェクトに関わる人々を動かす誰かの個人的な興味や関心と、それに伴う熱意であった。そのことを知るだけで十分だと思った。

興味や関心を口に出すのは誰でもできるが、それを形にし、さらにプロジェクトとして継続させるのは簡単なことではないはずだ。隠岐アートトライアルが自然な形で西ノ島町に根付いたのには、規模や形式に固執せず、地域の人々との丁寧なやりとりの中から表現の萌芽を見出す、岡田毅志・ 田島史朗両アーティストの柔軟な姿勢に依るところも大きいだろう。非公式物産展の活動においても学ぶべきところが多いと感じた。

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<タイムテーブル>
◎2015年8月23日(日)
12:00すぎ
 別府港(西ノ島町)到着
 隠岐アートトライアル実行委員長松浦氏に島内を案内していただく
 元美田小学校波止分校にて実行委員(岡田毅志氏、田島史朗氏、丹野志摩氏)と合流 
 波止分校での岡田氏の作品制作と丹野氏による撮影を見学 
19:00
 焼火神社へ移動 夕食でスリーミーバーガーをいただく
 実行委員とともに社務所泊
◎2015年8月24日(月)
15:00-18:00 イベント「石の語りべと隠岐の岩」に参加  ゲスト: 須田郡司 (石の語りべ、巨石ハンター)
 須田ご夫妻、実行委員とともに社務所泊
◎2015年8月25日(火)
 島内を巡る予定であったが、台風の影響により終日社務所から出られず、隠岐アートトライアルや須田氏の活動についてお話を伺う日となった
 須田ご夫妻、実行委員とともに社務所泊
◎2015年8月26日(水)
 隠岐アートトライアル企画の島後(隠岐の島町)で行われるイベントに参加予定であったが前日の台風の影響により船が欠航。実施ならず。修復工事中の美田小学校、波止分校、高田神社、由良姫神社、イカ寄せ浜、外浜まつりの会場であった外浜海岸を見学
 須田ご夫妻、実行委員とともに社務所泊
◎2015年8月27日(木)
07:00 社務所を出発
07:40 別府港出発

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<執筆者プロフィール>

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大村みよ子 OMURA Miyoko
1973年生まれ。東京都千代田区出身。1998年武蔵野美術大学卒業。 東京・神保町のオルタナティヴスペース「路地と人」の立ち上げ・運営を経て、2013年より非公式物産展として活動を開始。現在に至る。
AAFへは2013年より参加。