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コラム 2014.12.20

#42 浅野吉英(たてじまアートプロジェクト)


「アートプロジェクト」の主催者になると、高校生がアートの発生場面に立ち会えるにちがいない、と考えたのが8年前です。高校生が、地域でつくる「アートプロジェクト」を年間の活動とする授業「今津プロデュース」を学校設定科目として県に登録し、この授業を続けています。
今年は7名の高校生と「たてじまアートプロジェクト2014~いもづるつながり~」をつくることができました。このメンバーは、4月からは想像もできないくらい仲良しになっています。「お家みたいになってきたな、この授業。」と、生徒は話しています。プロジェクトをやり終え、高校生たちは達成感を持ち、仲間意識も育って、いいムードなのです。けれど担当者には、見えないことだらけです。7名の高校生がどんな力を身につけたのか。また、参加したこどもたちにとって、地域にとって、また、美術教育にとって、このプロジェクトはどのような意味があるのか、と、問い直してゆくと、はっきりしません。こんな力がついた、とか、こんな意味があったと言いきれることや、その根拠などが見えにくいからか、プロジェクトを終えた後は落ち着きません。

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今年の「たてじまアート」に参加した小学生のSくんの手紙とお母さんの手紙が二日前に届きました。
たった一人でも、心の中の変化を伝えてくれるリアルな気持ちが伝わってくると、自分たちが今年したことの振り返りがやっと出来るような気がします。こどもの絵を拡大デザインした高校生宛が一通、もう一通、実行委員会宛のお母さんの手紙にはこうありました。
「つたないこどもの絵を受け止めることをせず、ここはこう描くの、などと上から言ってましたが、こどもの絵そのままを高校生の方が鮮やかに色をつけて下さり、親子ともども喜びました。そのままを受け入れてあげたらいいのですね。(略)」
そういえば、1年目はプロジェクトの活動場所である新甲子園商店街の喫茶店のオーナーDさんから「先生、この自転車をあげるわ。」と自転車をもらって、もう一年続けよう、と思いました。「学校と商店街の行き来に使ったらええわ。」と話してくれたDさんには現在「たてじまアートプロジェクト実行副委員長」をしてもらっています。こういうやりとりに支えられながら6年が経過しました。数えてみると「今津プロデュース」を受講した生徒数は100名をこえています。

何故、私はこんなに真面目な先生になったのか。


震災で教師になりきる
もうすぐ、阪神淡路大震災から20年になろうとしています。私も震度7の揺れを体験しました。
当時勤めていた神戸市東灘区の高校では震災で2名の生徒が亡くなり、20名近い生徒が親近者を失っていましたが、4月には新入生が入り、何もなかったかのように授業は始まっていました。一歩外に出ると瓦礫を積んだトラックの列が並び、更地がどんどん拡がっていたのですが、学校が始まると高校生たちは日常の日々のサイクルに入ってしまいます。生徒の中には、遠方の仮設住宅に移り3時間近くかけて毎日学校へ通ってくる生徒もいました。神戸~大阪間の鉄道が切れていた期間、通常の3倍近く通学に時間をかけていたにもかかわらず、学校を休む生徒はほとんどいません。学校へやってくる高校生のエネルギーにはいろんな思いが凝縮されていて、真正面から向き合う以外になく、私は昼間は教師、夜は現代アーティストという二足のわらじを改め教師一本に絞りました。この時、私のささやかな画歴は、神戸の瓦礫とともに、あまり意味を持たないものになりました。

それから1年もしないうちに、高校生には不登校の波がやってきました。周囲が日常に戻り、震災が過去の出来事のように語られはじめると非日常を抱えている高校生は急速に周囲の高校生たちの日常についてゆけなくなり、不適応をおこすようになりました。
震災後、遠方の親戚の家に避難して、1年後に戻ってきたら友達との折り合いが悪くなったりしていたのを理由にあげていた生徒もいました。私の観察では小中学校時代に被災地から疎開し、人間関係が途切れた体験をした生徒の中に震災不登校と言える少なからぬ数の生徒が生まれたように記憶しています。話を聞いていると、こどもの育ちに地元という土地に囲まれる小世界は不可欠なのではないか、と思えることが多かったのです。ですから東北の小中高生のことが、3・11の震災後から、現在、これからのことも含めて気にかかっています。

ほんとうのアート
そんな4月、入学式が終わって2、3日過ぎ、保健の先生から呼ばれて保健室に行くと、一人の生徒が「わたし、学校をやめたいんです。」と言います。入学したばかりなのにどうしてなのか理由を聞くと「わたし、アートがやりたいんです。だからやめます。」と言う。「アートは4月からぼくが教えてあげるやん。」と言うと、「そんなんじゃないんです。わたし、ほんとうのアートがやりたいんです。」と言う。
「ほんとうのアート」という言葉に衝撃を受けて、私は言葉を返せませんでした。

ほんとうのアートを求めて学校をやめたい。学校の芸術教育を「そんなんじゃなく」と一刀両断に切り捨てる言葉にはリアリティがありました。完璧やないか。カッコイイ! 負けました。
そこからぼくは、「ほんとうのアート」と思えないことは、担当する授業で全てやめようと思いました。すでに定番として価値の定まったものを教える、と言う名の押しつけは全てNGにしよう。そうして見ると、美術の教科書はNGだらけです。誤解がおこらないようにここは詳しく話をすすめます。高校生にしてすでにアートをおもしろがり、美術史の移り変わりを世界史の知識と連動させながら楽しく学べた人には、高校の教科書は何の違和感もなく役に立つ教科書ではあるわけです。
けれど、アートって何だろう? と目をキラキラさせている中高生の好奇心には教科書は答えていないわけです。また、自分の好きなアートについてのみ熱く語る美術教師の情熱でも答えになっていないわけです。アートは、中高生の中で「おもしろい」と思える日がやってくるまでは、彼らにとって価値のないものです。まず、そう考えましょう。
アートの価値は作品にはないアートの価値はアートを受容する人の中に個別に生まれるものである
そう考えて、自分の高校時代を振り返ってみます。文化祭で中庭オブジェを作ろうということになって、2mの細い角材を赤く塗って、ただロープで屋上から引っ張り上げて空中に吊るしたらどうだろうと、みんなで相談してやってみました。それだけなのに、中庭の風景が変わったのがおもしろく、みんなで青い空を背景に、風に揺れている赤い角材をずっと眺めていました。あれは単純なことだったけれどおもしろかった。個別に生まれるアートはこんな感じです。

この「死ね!」はきれい
こんなことがありました。生徒たちがざわざわしながら教室に入ってきて、座席にじっとできずウロウロしながら「アホ!」「ボケ!」「カス!」「死ねや!」とざわざわもめていました。前の休み時間に喧嘩したのか、グループ間でもめていたのか、理由はわかりません。理由を聞いても事態は悪くなるだけなので画用紙を配って「今日はそれを描こう!」「画用紙に今みんなが叫んでいる「アホ!」「ボケ!」「カス!」「死ね!」を今のその気持ちを大切に、そのまま描きましょう!」と宣言。イヤイヤ描き始める生徒もいれば、「アホアホ」と連呼しながら描く生徒もいましたが10分ぐらいして「この「アホ!」に最も美しい色を塗ってあげましょう。」生徒たちは、自分の気持ちを吐き出したからか後半はかなり落ち着いて色塗りに入ります。出来あがるとみんなで見せ合います。「どう?この「死ね!」は?」と私がみんなに聞くと、授業のはじめに最も荒れていた生徒が「この「死ね!」はきれい。」と言う。教室がシーンとしたのは感動でした。

アートおこし
個別な一人一人の中から立ち上がってゆくアートの発生に関わる場面をいろいろな美術の授業の中でつくれないかな、と今も模索は続いています。このようなアートを自己生成的に伝える「アートおこしの美術教育」を平成14年より提唱していますが、美術教育界の中では現在のところ極めて少数派です。
アートの発生場面に最も遭遇しやすいのが「アートプロジェクト」の主催者になることだと思い「今津プロデュース」の中で「たてじまアートプロジェクト」を続けています。「アートプロジェクト」の主催者はアートがおこる現場に立ち会う特権を持っています。これが、授業を続ける最大の理由です。「たてじまアートプロジェクト」では、美術系の創作にとどまらず、西宮の傀儡(くぐつ)の伝統文化を掘り返し「フィギュアえびすかき」を大道芸として高校生に演じてもらいます。プロジェクトの当事者として責任感を育てることも同時に行います。逃げられない環境づくりとして、一人でも抜けたら成立しなくなる演劇を授業の中で準備して、大道芸祭りなどで土日に上演します。
生徒が本当に来てくれるのか、ヒヤヒヤ、ドキドキの連続です。けれど、出来た時には信頼できる「仲間」が生まれます。「仲間」とともにやることが高校生のモチベーションを上げる動機と考えています。今年のプロジェクトのメインイベントである「たてじまえんにち」が終了して、片付けが終わり「じゃあ解散。」と言っても、高校生たちは立ち去り難くしばらくぼんやり会場に立っていました。こんな時間がうれしいです。
こんな模索を続けてゆくと、「ほんとうのアート」に近づけるのだろうか、と、問いながら来年もたぶん続けていると思います。


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浅野吉英 ASANO Yoshihide
兵庫県立西宮今津高等学校 教諭
1959年大阪生まれ。1995年1月17日の阪神淡路大震災以降、真剣に教育に向き合うようになった。2004~5年「東灘きもちいとこ発見ギャザリング」。きもちいい身近な場所からアートを生み出す試みをして、これを授業化しようと2009年から「今津プロデュース」の授業を始めた。この年より西宮の新甲子園商店街でのアートプロジェクトを始め、2011年より「たてじまアートプロジェクト」として毎年秋に実施。2012年、2014年、AAFに参加。

<参考>
美術教育の動向』p.243-249「高校生をファシリテーターに」(武蔵野美術大学出版 2009年刊
リクルート「キャリアガイダンス」紹介記事