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コラム 2013.08.20

#26 内田聖良(余白工事の会)


実際の「もの」や「こと」以上にそれにまつわるイメージのほうが先行して、あたかもそれが正しいようになっていること、その正しさに従わなければならないような気持ちになります。

「余白ネットワーク」プロジェクトを始めたとき、「枠外感」という言葉をつくりました。「疎外感」が、その人がのけものにされるような状況によって生まれる孤立感だとしたら、「枠外感」は、その人の中に残る「自分は標準ではない、だから間違っている」という感覚です。この基準値のイメージを作る「枠」は、一方的に押し付けられるというわけではなく、意識的あるいは無意識的に、自らその「枠」づくりに加担している場合もあります。

2009年に、テレビ映像信号の発信機を作りたくて、電子パーツを買いに秋葉原に向かいました。 秋葉原の中央通りを歩いている人たちの中には、全国のメイド喫茶を渡り歩いて本をつくったり、リュックに電子工作でつくったキーホルダーをぶら下げて歩き、夜にはそれらに光を灯しながら、電子工作に興味を持ってくれる人が増えることを密かに期待したりするひとがいます。それは「枠外感」によって自分を抑えているからこそ発揮されている、魅力的な行為でした。「枠外感」を消すわけではなく、それがあるからこその力を発揮することに面白さや美しさが存在します。「枠」を意識的に力に変えるには、「枠」を自分と離して眺めたり、ずらしたり、崩してみたり出来なくてはいけません。

私たちは、「足りない」よりも「出来上がって手出しができないように思える」状況に置かれています。例えば、「いいね!」と発信するだけで、自分の感情が広告(経済活動)として扱われたり、楽しげな写真の投稿が他人の気分を沈ませたりします。自分の喜びをシェアしたいという抗いがたい欲望を利用され、自分で自分の世界を不自由にしているのではないでしょうか。それを全部壊したり、新しい仕組みに変えたとしても、新たに「枠」を作ることになってしまうかもしれません。 だからといって、仕様書通りに利用するだけでは、なぜだか貧しい気持ちになります。

だからこそ、この状況で「枠」をずらすための、  面白く爽快な、自由な気持ちになる有効な方法は、すでにあるこれらの状況や仕組みを、「あそぶ」、「間違って使う」技を磨くことではないでしょうか。今年度から余白工事の会が始めた「余白書店*0」プロジェクトは、その「あそび」の一つのかたちでもあります。

余白ネットワークがつくろうとしている関係性は、「地域」とか「専門性」とかで括ることのできない「枠外感」での繋がりです。 人間関係の「公式」や「非公式」いづれも既に「名前の付いている」関係が身体にあわなくなってきているためなのかもしれません。自分の身体に合うものを自分で作れたとしたら、とても気持ちのいいことだと思います。 それが名前の無いものならなおさら面白いでしょう。今までと違うやり方でつながった「家族のようなもの」がいろいろな種類、あっても良いのではないでしょうか。そのために、自分の置かれた状況や仕組みを崩したりずらしたりあそべる身体と、公式と非公式、名前のあるものと無いものが同居した風景も、そういう風景として眺められる目と、コインの裏と表ではなくて、コインとしてさわれる手があるといいと思います。アサヒ・アート・フェスティバルは、それらを養うために寝たり、歩いたり、ぼーっとしたり、穴をほったりできる、庭みたいなものであってほしい。

余白書店*0 余白ネットワークの運営する書店。読みあとを評価してAmazonのマーケットプレイスで販売する。http://yohaku-shoten.tumblr.com

内田聖良 UCHIDA Seira
1985年埼玉県生まれ。2009年武蔵野美術大学油絵学科卒業。2012年から情報科学芸術大学院大学(IAMAS)在学中。2010年に秋葉原ネットワーク、2011年から余白ネットワーク参加。余白工事の会会員。
「枠」に気づく、異化させる技を求めて、制作を行う。インスタレーション・パフォーマンス・Webなどの方法を用いる。最近は誤用や転用などを用いて何かできないか模索中。http://siruchd.web.fc2.com
2012年より清水都花と「凡人ユニット」としても活動。自作したファッションデバイスを用いて、「ぼんおどり」などの作品制作とVJを行う。http://bonjinunit-news.tumblr.com

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