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レポート 2013.07.08

2012交流支援プログラムレポート09 「田んぼの記憶&大阪七墓巡りトーク」と「まわしよみ新聞ワークショップ」


その年のAAFに参加する団体、これまでににAAFに参加してきたネットワーク団体のスタッフが、それぞれの地で交流する「地域間交流支援プログラム」。活動拠点やその地域の空気にふれながら、たがいの現状をゆっくりと話し合い、アイデアやノウハウの交換を行うことができるように、と始まりました。
2012年は20のプログラムを実施しました。今回ご紹介するのは、福島県いわき市、TSUMUGUプロジェクト実行委員会を訪ねた陸奥賢さん(大阪七墓巡り復活プロジェクト実行委員会)のレポートです。
(2012年12月)

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<レポート>

朝7時の新大阪駅から上野駅を経て約7時間の電車の旅を終えていわき駅にたどり着くと、改札口にはすでに田仲さんが。さっそく合流して、車に乗り込んで、会場となる浄土宗涅槃山菩提院へ。

袋中上人(たいちゅうしょうにん)をめぐって

菩提院では副住職の霜村さんに出迎えられて、まずは本堂の阿弥陀さまと袋中上人の像に手を合わせる。聞けば菩提院は戦国時代末期から江戸時代初期に活躍した陸奥国生まれの袋中上人が開基した寺院とか。袋中上人は仏教の経典を求めて日本から明に渡ろうとするが失敗して琉球に流れ着き、そこで浄土宗を広め、晩年は京阪神でも活躍した伝説的人物。大阪にもひとつだけ袋中上人開基の寺院が真田山界隈にあるとのことで、寺院の名前は失念したが、いずれ調べて訪れますと約束する。

ここで奇妙な縁というかなんというか、この日、菩提院には袋中上人のことを取材したいと名古屋から中日新聞の記者さんが訪問しているという。まわしよみ新聞のことを話したら「興味があります」ということで、急遽、参加されることに。なぜ中日新聞の記者が菩提院に?と思ったら、じつは福島の原発事故と沖縄の基地問題をテーマに長期取材をしていて、福島と沖縄という土地を調べていたら、そこを繋ぐ人物として袋中上人の存在がクローズアップされて、そこで菩提院を訪れたのだという。じつはぼくは上野駅で東京新聞を買っていたので、それを見せると「ありがとうございます」と感謝される。そういえば東京新聞は戦後に経営悪化して中日新聞が買収していたという事実をふと思い出す。

「じゃんがら念仏踊り」と「大阪七墓巡り」

座談会では、田仲さんのお声掛けで福島県いわき市の伝統芸能「じゃんがら念仏踊り」をやっているという20代の青年にも参加していただいた。事前に田仲さんから参加を聞いていたが、まったくじゃんがら念仏踊りについて調べる時間がなく、直接、いろいろと話を聞いたり、映像を見せてもらう。

じゃんがら念仏踊りは、江戸時代前期の発祥だと思われるが、その起源については不明で「袋中上人が作った」「祐天上人が作った」(陸奥国出身の浄土宗僧侶。徳川将軍にも認められ、増上寺の大僧正となる)「磐城平藩の郡奉行で用水路の工事を指揮した澤村勘兵衛の供養として始まった」など諸説あるとか。いずれにせよ夏の夜(8/13~15)に死者を供養する念仏踊りであるらしい。どこの家でもいいというわけではなく、基本は新盆の家を巡るものらしく、東北大震災があった2011年は巡る家が多くて、じつに大変であったとか。映像を見ていても、その独特のリズムや声の調子に自然と引き込まれるが、こうした地域の伝統芸能の常として、やはり、どこの団体も担い手の高齢化や、後継者不足などで悩んでいるらしい。一朝一夕にできるものであればいいが、こうした伝統芸能の多くは修得にも長い年月が必要で、ちゃんと一人前に踊れるまでには10年はかかるとか。自分もまだまだです、と青年は謙遜していたが、しかし、こうしたエトス(型、様式)が残っているのは正直、羨ましいし、素晴らしいことだと感じる。

大阪七墓巡りは、江戸時代に成立した都市祭礼で、大阪の町衆が歌舞音曲とともに七墓を練り歩いて、その死者を供養したという意味では、じゃんがら念仏踊りと非常に似ているわけだが、残念ながら、いくつかの文献や二、三の絵図が残っているだけで、そのエトスが残っていない。どのように七墓を巡り、どのように死者を供養していたのか? というのがまったくわからない。大阪人のことだから「なんでもよろしいがな!」という「いっちょかみ」(なんでも参加する)の「いちびり」(はしゃぎ)精神で、エトス化されるまで祭礼が深まらなかったのでは?とも考えているのだが、なにかエトスがあれば、その復活というのも比較的容易ではあるが、歴史の彼方に忘却されているものなので、「大阪七墓巡り復活プロジェクト」を始めるにあたって、もはや新しく創造するしかなかった。

そこで制度宗教(仏教、キリスト教、イスラム教など)によるエトスではなく、自然宗教(制度宗教以前の人間の祈りや願い、思い、弔い)を表現するアート(踊りや歌)によって大阪七墓巡りを復活させようと画策したのだが、これはエトスがないぼくのような大阪人の逆転の発想であると同時に、むしろこの「無手勝流」こそが大阪人のエトスではないか? と開きなおったりもしたわけで、しかし、やればやるほど、エトスの必要性、重要性、可能性に気付いた、というのが本音のところだったりする。なかなかジレンマではあるが、座談会では正直にその辺りのことはお話させていただいた。(じつは昔の大阪人は「無手勝流」にやっても大丈夫なほど、宗教性に満ち満ち溢れた民族だったということだと今は考えている。少しのことにも先達はあらまほしき事なり。恐るべきは常に先人です)

じゃんがら念仏踊りと大阪七墓巡りの、しかし、一番の相違はなにか? というと、じゃんがら念仏踊りは「有縁の死者」(新盆の家を巡る)を供養するという祭礼であるが、大阪七墓巡りは無縁の死者(誰にも供養されない無縁仏)を供養した祭礼であるということ。これはおそらく村落と都市という場(トポス)の性格差が大きい。
村落の祭礼は、基本的には先祖代々の土地に生きる人々の中で育まれる。有縁の村落社会の繋がりを再確認する仕組みとして祭礼なども誕生するが、都市はそもそも無縁者の集まりによって都市が生まれる。戦後の日本社会でも長男長女は家や田圃を受け継ぎ、受け継ぐ家や田圃がない=村落では食えないという次男三女四男五女が夜行列車に乗って東京や大阪、名古屋といった都市に集団就職して高度経済成長の担い手になっていったわけだが、「隣に誰が住んでいるかわからない」(犯罪者かも知れないが天才かも知れない)という状況こそが、じつは都市の都市たる基礎条件となる。そういう都市で発生する祭礼は、無縁ということに頓着しない。むしろ無縁であるからでこそ、供養しようという慈悲の発想(これを仏教用語では「無縁大慈悲」というとか)も生まれる。
実際に大阪七墓巡りが発生した社会的状況は、慶長の役で豊臣政権が滅び(そのとき大阪は焦土と化し、なんの罪もない約10万人の町衆の死者が出たと宣教師の報告などにはある)、新しく日本全国各地から町衆(その多くは豊臣方の失業者や浪人、流れ者だったろう)が集まってきた時代以降に誕生している。元禄期に向けて大阪は豊臣(武家)政権の首都から商業都市として再生していくが、江戸幕府の「士農工商」という絶対封建社会の身分制度の中では(商人が武士の刃に触れたりすれば問答無用で「切り捨て御免」なんてことも許されていたわけで)、商人=町衆はほとんど最下級の人間で、大阪はそうした歴史的敗北者、社会的弱者の都市であった。
敗北者、弱者の最たるものが誰にも供養されない死者=無縁仏であるので、自然とそこにシンパシーやエンパシーが生まれ、大阪七墓巡りのような都市祭礼が生まれてきたと思われる。どちらがいいとか、悪いということではなく、じゃんがらと七墓は、それぞれの場(トポス)の特性が如実に反映しているわけで、そういう面白さを再認識した座談会であった。

まわしよみ新聞

 座談会のあとは「まわしよみ新聞」のワークショップに移った。これは参加者が新聞を持ち込んで、それをまわしよんで、気になる記事を切り取り、どこが興味・関心を覚えたか? というのをプレゼンしながら、みんなのニュース価値を探ろうというコモンズ・メディア実験プロジェクトだが、じつは今回のワークショップでは、遠く沖縄に協力者がいて「沖縄タイムス」を送っていただいていたので、福島、大阪、沖縄の三都市のいろいろなニッチでディープな記事が飛び出してきた。

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福島原発の記事と沖縄基地の記事が並ぶとき、その根底にあるのは、じつは「地方と中央の関係性」や「近代国家」というものをどうとらえるか? という構造的問題で、それが一枚の四つ切画用紙の中に見事に可視化される。これは「福島だけ」「沖縄だけ」にいては(目の前の問題が切実であるだけに・・・)なかなかそういった俯瞰的視点には立てないわけで、まさに「まわしよみ新聞」だからでこその新聞であり、コモンズ・メディアが成立したのではないか? と思っている。他にも「映画のぼうの城の広告」「大阪のおばちゃん党結成」「ゴルゴ13愛用のM16モデルガン(税込89250円)」「沖縄の天気図」(中日新聞の記者さんが切り取った記事!)など、それぞれの参加者の視点や意外な着眼点が面白く、盛大に盛り上がってワークショップは終了した。

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また、この結果をうけて大阪は1995年の阪神淡路大震災の被災地で、福島は2011年の東北大震災の被災地であるが、それぞれの地域・地方の新聞を交換して阪神・東北の各地で「まわしよみ新聞」を展開することで、いろんな気づきや発見、対話が生まれるだろうと考えて田仲さんと一緒にプロジェクト化を模索しようということになった。
これもAAF交流企画のひとつの成果としてご報告するとともに、こういう素晴らしい機会を与えてくれた実行委員会のみなさまに深く感謝の意を表したい。本当にありがとうございました。

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<開催概要データ>
[企画名]「田んぼの記憶&大阪七墓巡りトーク」と「まわしよみ新聞ワークショップ」
[実施日]2012 年12月8日(土) 
[招聘者]田仲 桂(田んぼの記憶プロジェクト実行委員会)【福島県】  
[訪問者]陸奥 賢(大阪七墓巡り復活プロジェクト実行委員会【大阪府】 

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<タイムテーブル>
◎2012年12月8日(土)
15:00-16:30
「田んぼの記憶プロジェクト&大阪七墓巡り復活プロジェクト 座談会」
浄土宗涅槃山菩提院にて。「まちやひと」との関係性を「アート」や「祭礼」といった方法論で繋ごうとする「田んぼの記憶プロジェクト」と「大阪七墓巡り復活プロジェクト」についての意見交換。
16:30-18:00
「まわしよみ新聞ワークショップ」
同じく菩提院にて。福島と、大阪と、沖縄と、ぼくらの「いま」を可視化するために「まわしよみ新聞」のワークショップを実施。

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<執筆者プロフィール>
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陸奥 賢(むつ・さとし)
1978年生まれ。大阪人。フリーのプロデューサーとして「大阪あそ歩」(2012年観光庁長官表彰受賞)、「まわしよみ新聞」、「葬食」などを手掛ける。NPO法人ココルーム理事。應典院コモンズフェスタ企画委員。