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コラム 2013.06.20

#24 吉川由美(ENVISI)


宮城県南三陸町でさまざまなアート活動を続けている。東日本大震災による大津波で、当町では800人以上が犠牲になり、志津川地区では2700戸のうち2000戸が、戸倉地区では600戸のうち540戸が、歌津地区では1400戸のうち700戸が流された。壮大なる喪失である。

2010年、地元に伝わる神棚飾りの様式を真似て切り紙を創り、軒先に飾るコミュニティ・アート・プロジェクトを行った。町の中心部を走る約1キロの通り沿いにある一軒一軒のエピソードを聞き出し、その物語を切り紙にして、地域に潜む物語を可視化し共有した。
その家々が跡形もなく流された土地に、昨夏その絵柄を畳大のアルミ複合板に切り出して、海に向けて設置した。それぞれの家の人たちが、震災後、どのようにがんばっているかを短いメッセージにして沿えた。「笑顔たやさず海とともに生きる」、「ご先祖様も裸一貫からやり直した わたしも一から事業再開」、「生きる喜びを分かち合いながら」など。28カ所に61点のボードが現在も設置してある。

このエリアを多くの町民が日々通る。町民のみなさんそれぞれに、ボードを目にする度、かつての町並みやそこにあった暮らし、先祖代々そこに生きて来たこと、そして、それぞれの店や人が今がんばっていることなどを感じとっていただければと考えての展示だった。その姿を犠牲になった方々にも届けたいと、すべてを海に向けて設置した。
夏の約2週間で撤収するはずだったボードは、設営した土地のみなさんの希望で展示を無期限延長している。暴風警報が3日に一度は出るような異常気象の冬も、地元の建設会社の社長が自らボードを保守してくださり、今に至っている。風が吹くたびに、厳寒の広大な流失地を駆けまわって補修をしてくださった。頭が下がる。
「このボードは町の人たちにとって大切なものだから、もうなくせない。」
そう彼は語る。

この春の大暴風の後、あまりに傷んだボードのいくつかを新しいものに取り替えた。そのために一時、ボードを撤収したら、あとでその土地の方が「この前一時なくなっていたよね。どこにいってしまったかと心配だったし、さびしかった。しばらくしたら、またもとに戻っていたね。」と笑顔で声をかけてくれた。流失地を公園にすることができたら「きりこ(切り紙)回廊」を創ろうという案を提案してくれた方もいる。
また、町のみなさんが「きりこ」を掲げる姿がJRのポスターになり、首都圏などに現在掲示されている。

町の女性たちと始めた「きりこプロジェクト」は、いつのまにかひとり歩きし、どんどん広がり続けている。そして、人々が喪失した多くのもののうち、目には見えない記憶をつなぎ止め、「そこに生きる意味」のようなものを互いに見出すための、あるいは死者と思いを交わすコミュニケーション・ツールの役割を果たしていると感じている。

ボルタンスキーの「No Man's Land」は、東日本大震災がつきつけた「死と生」、東北の海辺の人たちの悲しみ、苦しみ、怒り、無常感を圧倒的なスケールで感じさせた。記録写真のように現象から伝える手法ではなく、袋を返すようにして人間の心の奥深い感情から、この震災の真実をつきつけた。
アーティストの突き刺さるような深い表現、人々を主体にし時にアイデンティファイするコミュニティ・アート活動、深い思索や癒やしを促す活動...。アートが多様なあり方で、明日を生きる力を引き出すことを、きわめて厳しい状況に置かれている被災地で実感している。

海辺の人々がそこに生きる意味を、今、私たちはおおいに語らなくてはならない。長い間そこに生きて来た人々の強靱な精神や知恵を共有し、尊重しなくてはならない。復興政策が人々の土着の知恵を汲み取らずに進められる中、さまざまな側面からアートは縦横無尽に、その多様な力を発揮できると確信している。ここからが、本当のアートによる支援の出番である。

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吉川由美 YOSHIKAWA Yumi
仙台市生まれ。プロデューサー、演出家。ENVISI代表。コミュニティーと文化芸術、観光、教育とをつなげ、アートの力で地域の力を引き出す活動をしている。2010年より、南三陸町の新たな魅力を再発見するアートプロジェクトを展開。東日本大震災で甚大な被害を受けた同町で、アート活動を通し、復興に向けた支援プロジェクトを展開している。(有)ダ・ハ プランニング・ワーク代表取締役、八戸ポータルミュージアム はっち 文化創造ディレクター。