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レポート 2013.06.28

2012交流支援プログラムレポート06 ROAD TO 飛生芸術祭2012


その年のAAFに参加する団体、これまでににAAFに参加してきたネットワーク団体のスタッフが、それぞれの地で交流する「地域間交流支援プログラム」。活動拠点やその地域の空気にふれながら、たがいの現状をゆっくりと話し合い、アイデアやノウハウの交換を行うことができるように、と始まりました。
2012年は20のプログラムを実施しました。今回ご紹介するのは、北海道白老町の飛生(とびう)アートコミュニティーを訪ねた田島史朗さん(島根県・隠岐アートトライアル実行委員会)によるレポートです。(2012年10月当時)

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<レポート>

白老までの道のり -- ROAD TO 飛生芸術祭2012

今回、白老を訪ねることになった時に真っ先に頭に浮かんだのはイザベラ・バード(Isabella Lucy Bird)の『日本奥地紀行』だった。イギリス人のイザベラ・バードが、明治の初期に3か月をかけて、日光から会津を通り新潟に抜け山形・秋田・青森・北海道のアイヌの集落を訪ねた話である。彼女が妹に宛てた手紙が元となっている文章のためか、個人的な印象を強く述べているが当時の様子を感じるには十分な内容である。
現代の車道でいえば、日光から国道121号線で会津田島まで、県道349号にて会津長野、また国道121号で会津下郷、県道131号に入って大内ダムまで(ここの峠の記述は面白いが今では道がない)。この先会津高田、会津坂下と抜けて新潟に入る。その先青森までの道程は割愛するが、なんとも険しい道のりを旅している。青森からは船にて北海道に渡るが、最初の玄関口は札幌ではなくもちろん函館である。
今回は函館から陸路、馬ではなく車ではあるが飛生まで向かった。室蘭を経由して240キロほどの道のりであった。

夷酋列像(いしゅうれつぞう)特別展示

イザベラ・バードは日本人の人種的外観として次のように述べている。「...黄色い皮膚、馬のような固い髪、弱々しい瞼、細長い眼、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きつき、女たちのよちよちした歩きぶりなど、一般に日本人の姿を見て感じるのは堕落しているという印象である」。アイヌについては、「胸幅も広く、非常に丈夫な骨格、腕と脚は短く太く、筋肉は盛り上がっている。手と足は大きい。荒い毛で覆われている。耳は小さく低く、鼻は真っ直ぐに通っているが、鼻孔のところが短くて広い。口は横に広いが良い形をしている。......眼は大きく、かなり深く落ち込んでいて非常に美しい。眼は澄んで豊かな茶色いをしている。」などなど。いわゆる和人とアイヌの違いついて述べている。
この時期、函館では幸いにも「夷酋列像特別展示」(北海道立函館美術館)が行われていた。
蠣崎波響(かきざき はきょう)のこの絵は、なんとも不思議な生い立ちをしている。下絵などから10数枚のアイヌの酋長を描いたものがあると言われていたが、行方不明だった波響の夷酋列像が偶然、フランスのブザンソンの考古美術館で見つかった。幕末の松前藩の家老でもあり絵師でもあった波響が描いたこの時代と、イザベラが北海道を訪ねた時期は50年余りしか違わない。当時の酋長を精密に描いたこれらの12枚の絵は当然美化したにせよ、実際の姿を想像するには十分な描写力となっている。また酋長を着飾っている三丹服も異様なまでに美しく描かれていた。当時の松前藩とアイヌとの大変な関係から、どのような経緯から描かれたのかは分からないが、絵師でもあり家老でもあった波響の思いはどこにあったのか気になるものだった。イザベラにしても、波響にしてもアイヌのことを知る良い機会となった。

飛生(とびう)の森

旧飛生小学校の裏の森は、かつて子どもたちの格好の遊び場だったが、廃校とともに笹が伸び放置林となっていた。そこを再び、子どもたちが自然に触れあい、遊び、集える森として未来に繋げるべく、「飛生の森づくりプロジェクト」がはじまった。
このプロジェクトのメンバーは、当然、飛生アートコミュニティーメンバーが中心となっているが、一枚岩で固まっているのではなく、多層的なコミュニティーが連携することによって運営されているのが面白いと感じた。地域の何でもできるオジサンが中心となって、白老の若者や、札幌から通う者、また苫小牧から遊びに来るものまでが、年に数回、週末を中心に集まり活動している。
その中の数人から話を伺うことができた。みなきっかけは様々だが、「何となく遊びに来るようになった」という話が印象に残った。それぞれに飛生の森に毎週のように訪ねてくる理由は違っているかもしれない。何かを成し遂げるのに、全員が同じ方向に向く必要はなく、様々な思いの中で重なっていることが自然だと感じた。また、このプロジェクトは地元との交流の場ともなっており、飛生アートコミュニティーに多くの人が出入りできるようなものになっている。
昨年は、森の中に人が入ることができる散策路をつくり、今年は森の神話に基づいて全体が変化する作品として考えているとのこと。森を歩くと近くの製紙工場から協力して頂いたチップが敷いてあり、心地よい散策路になっている。

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「廃校を考える」トークカフェ

話者は、柴田尚(NPO法人 S-AIR)、三澤章(NPO法人 あおもりNPOサポートセンター)、国松希根太(飛生アートコミュニティー)、田島史朗(隠岐アートトライアル実行委員会)というメンバー。
この4人は廃校をテーマに集まったメンバーだが、廃校との関わり方はそれぞれ違っていた。柴田さんは、廃校について調査研究をされており、現在北海道が日本で最も廃校数が多いこと、廃校を個人として活用されている例、廃校が販売されている実例などを提示された。三澤さんは実際に廃校を活用されており(旧・王余魚沢(かれいざわ)小学校)、はじめた当時の地域との関係、NPOとして運営していくことについて、国松さんはアトリエとしての利用から、しだいに地域との関わり合いを持つようになった変化などを話された。
現在、私は隠岐で2つの廃校に関わっている。ひとつは昨年廃校になった美田小学校。もうひとつは40年前に廃校になった波止分校だ。しかし廃校に関わり始めたのは共に昨年からと、つい最近のことである。片方は再生、修復など前向きな話が地域で進んでおり、行政が今後どのような関わりを持つのかといった状況にある。もう片方は長く忘れられた存在だった。
現在の廃校問題は廃校となってからどのように再生するか、もしくは取り壊すかという方向に向いている。私はいま、長く忘れられていた学校を、どのように終わらせるのかという問題が気になっている。
その後、打ち上げ、温泉交流等を通じて、飛生メンバーとも夜更けまで話すことができた。

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飛生アートコミュニティーとは
飛生アートコミュニティーは、旧飛生小学校を活用して1986年に設立された共同アトリエ。主に作品の制作や展覧会、イベント、プロジェクトなどを開催し、世代を継いで現在まで様々なアーティストが活動を続けてきた。近年は、若い世代のアーティストに加え、多方面で活躍する人々が集結し、校舎を一般開放して大々的に開催する「飛生芸術祭」、森づくりを通じて森と人との共存を考える「飛生の森づくりプロジェクト」、白老町に滞在し地域の人達と交流しながら作品制作をする「白老滞在型ワークショップ」、アーティストが講師となって指導する「美術教室 いろどり」を実施するなど、アートを通じた交流の場としても機能している。

写真01 飛生の森見学
写真02  ARTIST in 竹浦小学校『歌う!星のこどもたち』見学
    富士 翔太朗 + 竹浦小学校の子供たちの合唱 • 楽曲完成発表会
写真03 廃校を考えるトークカフェ 
(写真撮影 高張 直樹)

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<開催概要データ>
[企画名]ROAD TO 飛生芸術祭2012
[実施日]2012年9月8日(土)~9月9日(日)
[招聘者]北海道・飛生アートコミュニティー
[訪問者]田島史朗(島根県・隠岐アートトライアル実行委員会)

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<タイムテーブル>
◎2012年9月7日(金)
15:00 函館着。「夷酋列像特別展示」(北海道立函館美術館)、函館市北方民族資料館を見学
◎2012年9月8日(土)
11:00 室蘭見学
12:00 カムイエカシチャシ見学(白老町虎杖浜)
14:00 飛生アートコミュニティー到着
15:00 飛生の森見学
16:00 会場準備を手伝いながら実行委員会メンバーと交流
20:00 飛生の森メンバーとアヨロ温泉交流
◎2012年9月8日(日)
13:30 ARTIST in 竹浦小学校『歌う!星のこどもたち』見学
    富士 翔太朗 + 竹浦小学校の子供たちの合唱 • 楽曲完成発表会
14:30 「廃校を考える」トークカフェ(16:30迄)
17:00 飛生芸術祭2012オープニングパーティー(19:00迄)
19:00 アヨロ温泉交流
20:00 打ち上げ交流

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<執筆者プロフィール>
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田島 史朗 
彫刻家 / アートディレクター / デザイナー / 横浜在住。 群馬県桐生市生まれ。多摩美術大学入学後、他物との関わりから生まれる変化に着目し様々な表現行為を行っている。卒業後、奄美大島に移り住む。その後アジアを周遊し、東京に戻る。2000年同大学助手、2004年ポーラ美術振興財団財在外研修生としてイタリアにて研修(~2005年)、2006年~Atelier Ardiglione、2011年~多摩美術大学非常勤講師。