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交流プログラム 2012.09.05

2012交流支援プログラムレポート03「瀬戸内文化圏でのインターフェイスを繋ぐ」


AAF参加団体、ネットワーク団体の担当者が交流する「地域間交流支援プログラム」。それぞれの現場やまちの空気にふれながら、たがいの現状をゆっくりと 話し合い、アイデアやノウハウの交換を行うことができるように、と始まりました。現在では、新しい視点を獲得することで、あるいは別の視点が持ち込まれる によって、これまでにないプロジェクトが立ち現れようとしています。
今回は、アートプラットフォームえひめ実行委員会(愛媛県松山市)、国東活性化委員会(大分県国東市)を訪ねたNPO法人 ハート・アート・おかやま(岡山県岡山市)、田野智子さんによるレポートです。

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<レポート>

日本人が、障子を通して外光を入れたり、縁側で訪問者と語らったりしてきたように、自然・地域と繋がりを緩やかに取り入れるインターフェイス(媒介するもの・人)の空間を再考したいと提案し、国東と松山、そしてその経路にあたる日田市の咸宜(かんぎ)園を訪れた。
本州から九州自動車道を使い目的地である大分県に入り、その後海路で四国に回るという当初の予定ルートは、この夏の集中豪雨によって阻まれ、2度に分けての交流となった。

◎7月編
2012年7月14、15日の松山は、梅雨明けを思わせる晴天になった。前日までの豪雨は、九州各地に被害をもたらしていたため、岡山から瀬戸内海を渡り、松山に入った。松山は、5歳まで住んでいた私にとっては出生地であり、個人的に思い入れの強い地だ。
日本の経済や、文化を牽引してきた紡績工場の社宅跡や、多くの文人や物資の交流地であった三津浜港を見学する。安藤忠雄建築の坂の上の雲ミュージアム、道後温泉界隈は、他府県からの車で賑わっている。大屋根のアーケードのある商店街、松山は四国一の都市だ。
アートプラットフォームえひめ実行委員会のメンバーが、NPO法人 クオリティ アンド コミュニケーション オブ アーツの事務局に集まってくださった。その場所は、坊ちゃん電車も走る路面電車沿いの、中心市街地に位置し、NPOの就労支援施設が保有しているビルのワンフロアーにあった。子どもたちや学生が自然に交流できる良い環境だ。ここで、「今、松山・岡山で起こっていること」「地方都市の文化振興について」などをテーマに、意見交換をした。なかでも興味深かったのが、理事長の徳永高志さんの話だ。道後温泉は、足を痛めた白鷺が、岩の間から流れ出る湯に浸っていたところ傷が癒えて飛び立っていったという伝説があり、また、神話の時代にも登場している。近年の団体旅行衰退後も、瀬戸大橋開通により人気復活、1994(平成6)年には道後温泉本館が重要文化財指定を受け、まちづくり協議会活性化のさまざまな取り組みが見られた。再びの観光客減少後も、しまなみ海道の開通により復活。地域の公園や商店街の整備により、ミシュランガイド日本編において2つ星獲得。その後もNHKドラマ「坂の上の雲」の人気で栄えてきたという松山。ドラマ終了とともに、またも観光客の減少が始まっている。昏々とわく湯本。近い将来の温泉の大改修などを考慮し、観光客や遍路という外から来る人に頼ることなく、住んでいる人の目線での文化活動と地域活性化を考えていかねばと話された。坂の上には雲はなく、また坂がある。高みを目指して走ってきた時代の後の、今の時代を今後どう楽しいものにしていくか。愛媛大学の学生や子どもたちとのワークショップ、三津浜の花火大会に合わせたスタンプラリーなど、実行委員のメンバーが自分たちの住む地域で年間を通して活動しておられるようだ。若い人が生み出す、新しいプロジェクトにも期待しているようだった。
アートプラットフォームえひめのメンバーと
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◎8月編
8月11日に国東半島へ出発。今年AAFで知り合った、国東半島活性化委員の代表、今冨正幸さんに、六郷満山の半島での活動を案内していただいた。
お盆の帰省客で込み始めた九州道から、国東半島へ走る。大分空港を過ぎ、約束の場所「アストくにさき」(大分県東部振興局)の駐車場で再会。その後、今冨さんが工事をしている商店街の元酒屋へ行った。商店街と言っても誰も歩く者はなく、街灯の看板がかつての繁栄を物語るのみ。先程の駐車場付きの行政機関からも近くなのに、何故、ここで活動拠点をつくろうとしておられるのかと思ったら、「地域の人たちに見える会議をする場所をつくっているのです」と。古い屋根の梁を取り出し、カウンターを作っていた。今冨さんの車で、国東半島を廻ることにした。「山を歩くから」と言われ、靴もはきかえた。
今冨さんの案内で国東半島を廻る
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走っている道、見える山、木々が茂る神社、田んぼの中に見える岩、川、すべてに物語がある場所。それが国東半島だ。宇佐神宮に到着。日本書紀の話のままに森や山がある。西叡山の山並みを見つつ、いよいよ山の祠に登っていく。苔むした階段を上がっていくと、洞窟があり、コウモリが飛び交う中、観音様を拝む。次の岩山に上がっていくと、中世から変わらぬ棚田の風景が見えた。朝日に向かう朝日観音、夕陽を向く夕日観音をお参り。次なる山は、熊野磨崖仏の岩谷だ。鬼が一晩で造り上げたというだけあって、石の階段の歩きにくいこと。そして辿りついた。高さ約7メートルの不道明王と大日如来像。
宇佐神宮に到着(左)
岩谷へ上がる苔むした階段(右)
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山の祠へ上がっている途中、見下ろすと中世の荘園後の棚田が広がっていた
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熊野磨崖仏
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今年4月に鬼籍に入った、真鍋島の真鍋禮三さんが、生前よく話していた。「人は生きているのではなく、生かされている。宇宙を司る大日如来によって、生かされている。」と。川中不動に着いたときは、もう夕方。まだまだ、案内したい様子の今冨さんだった。それにしても、何故、ここで活性化事業を!?「自分が死にたい場所は、ここだった」と。国東半島は、彼自身の故郷であり、竟の住みかなのだ。今でも地域に残る、お大師講や祭り。独特の祭りの名前や由来など、日本古来の文化が生きている。「ここで、芸術祭をしていきたいんです」。土や山や、木や神仏、岩や祠すべてが、物語を持っている。ここで行う芸術祭は、かなりの質を要求されるだろう。じっくりと腰を据えて、改めて訪れなければ。三浦梅園についても、まだまだ知らない。自分から滴り落ちる汗を見ながらの山歩き。脳みそも汗をかいた。全身体力勝負の半島巡りだった。

温泉で汗を流して、BEPPU PROJECT代表の山出淳也さんたちと懇談。一番聞きたかった「山出さんがteenageのころ海外でアーティスト生活を始めた経緯」について聞くことができた。
誰にも、始まりがある。

先哲の役割について
江戸時代末期、大分県日田市で広瀬淡窓は、私塾「咸宜園」を開いた。咸宜とは、詩経からの引用で「ことごとく皆宜し」という意味。この塾では、約5,000人の若者が学ぶ。門下生は、女性を含むさまざまな身分の若者。入門時には、それまでのキャリアや身分などを奪う「三奪法」を用い、毎月の試験で塾内の順位を付ける「月旦評」が特出すべき点。漢学や蘭学などを中心に教授していたようだ。ここで学んだ一人が、岡山県総社市の池上秦川だ。その古家を借りてから、ここを訪ねることを待ち望んでいた。咸宜園教育センターの吉田さんに、主に淡窓の偉業を現在の日田の子どもたちにどのように伝えているのかを中心に解説していただいた。門下生が畑を耕すのを広瀬淡窓は書斎の2階から見ていたという。その円い窓からは、日田を取り巻く山々が見えた。障子を抜ける淡い日差しを好んだそうだ。天領だった日田では、淡窓のことを先哲として、今も小学生らに教えている。
今年11月3日に、岡山県総社で、秦川没後100年祭を行うことになっている。現在でいう学習塾とは異なり、幕末という時代の変動期に、教養や文化を学んだ若者がそれぞれの郷里に帰り、それぞれの地域の先哲となり、地域が活性化されていったのだろう。
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咸宜園の広瀬淡窓が好んでいた書斎から、日田市の景色が見える
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地域の活力が閉塞している現代では、市民や未来を築く子どもたちのアイデンティティーと自律性の獲得が求められる。しかし、家庭や地域の文化力は脆弱化し、したがって、学校や文化事業でそれを担うことを要請されてきている。それは、単年度の事業では完結することができない課題であり、活動継続のためのメディエーターに対する支援の在り方、新しい他者の導入などについて等々複合的に考えていく必要があると考える。

国東、日田、松山のもつ土地に内在する力を感じながら、そこでcontemporaryに生きていく面白さを共有している人々と出会った旅でした。
関係者の皆様に、御礼申し上げます。

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<開催概要データ>
[企画名]「瀬戸内文化圏でのインターフェイスを繋ぐ」
[実施日]2012年7月14日(土)〜7月15日(日)、8月11日(土)~13日(月)
[訪問者]田野智子(NPO法人 ハート・アート・おかやま)【岡山県岡山市】
[招聘者]国東活性化委員会【大分県国東市】、アートプラットフォームえひめ実行委員会(愛媛県松山市)

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<タイムテーブル>
◎2012年7月14日(土)
 岡山~松山 伊予北条にある紡績社宅跡、三津浜港など見学
◎2012年7月15日(日)
 10:00-  アートプラットフォームえひめ実行委員会のメンバーと交流

◎2012年8月11日(土)
 岡山~国東半島
 13:00-  活性化事業を推進していく契機について話しながら、現地を巡る。
 20:00-  別府プロジェクト 代表山出淳也さんたちと懇談
◎2012年8月12日(日)
 13:00-  日田市咸宜園教育センターにて 広瀬淡窓と教育文化普及活動について協議
◎2012年8月13日(月)
 帰途

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<執筆者プロフィール>

IMG_2425.JPG田野 智子(たの ともこ)
NPO法人ハート・アート・おかやま代表理事

愛媛県松山市生まれ。小学校教諭を経て、岡山県吉備の里能力開発センターのシステム開発にかかわる。表現を通し て個々の可能性と社会との接点を見出そうと、1999年NPOの前身の団体を起こし現在に至る。2004年度よりアートリンク・プロジェクトを展開し、 2007年からはフロリダ州セントピーターズバーグのNPOと国際交流事業を行なっている。一方で少子高齢化の進む瀬戸内笠岡諸島での、高齢者との表現を 通じた共同研究「カルチャーリンク」を継続。岡山県内の学校にアーティストを派遣しワークショップを実施すること、芸術教育の現状調査を行うなど、表現・ 食・文化という日常をテーマにし、障害の有無や年齢や分野を超えた人々の密接な交流から生まれる新しい価値を地域ごとの特色ある伝承文化との比較を視野に 入れ展開している。

2012年度は、明治初期に咸宜園で学び、帰郷し地域教育に携わった池上秦川の研究、岡山市内の廃校での文化祭を計画中。編著として「アートリンク・プロジェクト」など。讀賣プルデンシャル福祉文化賞奨励賞、日本美術教育学会奨励賞など受賞。川崎医療福祉大学非常勤講師。