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コラム 2012.08.09

【特別寄稿】いまこそ、表現を〈民〉が支える仕組みを。


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2011年3月某日 「日々の不幸に向き合う」
 ある人が言った。「アートNPOは、日々の不幸に向き合ってこなかったんですね」と。アートNPOエイド(*1)を立ち上げようとしたときに、言われた言葉だ。

 緊急支援を専門にするNGOは、災害や紛争など、いまこうしているときも起こっている人命に関わる緊急事態に対して迅速に行動し、ひとりでも多くの命を救おうと活動している。医療問題に携わるNPOは、病気がもたらす苦痛を軽減し、医療制度を変革しようと尽力し、薬物依存症者支援のNPOは、困難な悩みをもつ薬物依存者に寄り添い、分かち合いながら薬物を使わずに生きるためのリハビリテーションを提供している。セクシュアルマイノリティを支援するNPOは、社会の無理解からくる精神的疲労を抱える当事者のメンタルヘルスの問題に取り組み、その家族の支援や自傷、自殺の予防ケアをおこなう。就労支援のNPOは、少年院出所者の社会復帰と再犯防止のために就労を手助けする。
 この国では毎年、三万人以上もの自殺者がおり、何百人もの野宿生活者が路上で亡くなり、DVによる暴行に苦悩する相談がついに二万件を超えた。若年母子世帯は、失業や不安定雇用に晒され、社会的に排除されやすい状況におかれている。在日外国人に対する差別は一層強まり、いじめの問題はなおも混迷を極め、犯人さがしに躍起になる正義を振りかざす人々によって、新たな苦痛がもたらされている。ニュースになるようなこと、命に関わることばかりではない。日々の不幸は、事の大小を問わず、見かけ上の深刻さに関係なく、解決を拒むかのように複雑に絡まり合い、困難な状態のまま目の前に数えきれず存在している。
 「アートNPOは、日々の不幸に向き合ってこなかったんですね」
 その言葉には、震災復興に息巻くアート実践者たちに対する不信感が現れているようにも思うし、あるいは素朴な質問か、素直な応援であったのかもしれない。もちろん、世の中が不幸や憎しみ、憐憫にばかりあふれかえっているわけではなく、数えきれないほどのよろこびやたのしみ、ことばにできない穏やかな感情や愛情にも満ちあふれている。とはいえ、数多ある日々の不幸に対して、無関心のままでいるのか。日々の不幸と無関係を気取るのか。3月11日を境に、「アートとはなにか」という問いがこれまでとはまったく違った響きをもって聞こえてくるのも確かだ。


1995年4月某日 「コミュニティからの逃亡」
〈わたし〉のこと。生まれ育った土地から逃れようと、大学進学を期に都会に移り住んだ。そこには、想い望んだ生き方があった。隣人は誰とも知れず、顔を合わせることもない。駅ですれ違う人は、〈わたし〉のことを誰も知らない。タクシーに乗って行き先をつげるまでもなく家に送り届けられることもない。干渉されることなく、つねによそ者として居続けることができる世界が、そこに広がっていた。あぁ、なんと心地いいのだろう!と心底思った。なにか、とても重いものから解放された気がした。
 いつの頃からだろう、それは無責任なことだと言われるようになった。いつの頃からか、確かにそれは無責任なことだと自覚するようになった。土地に根ざし、そこに住む〈人々〉と共に生活し、関わりあいのなかでアート活動をつづける実践者や、コミュニティに寄り添うアーティストたちの話しを聞きながら、その理念に共感し、出来事に感動し、活動を応援する〈わたし〉がいる一方で、いまも放浪者のような生活を続け、都会に埋もれて日々を過ごしている〈わたし〉がいる。親族も同級生もいて、方言で話すこともできる生まれ育った土地に戻ることを、頑なに拒んでいる。ひとりでいることの不安が、ひたひたと頭をもたげてきてもなお。
「それはなぜだろう?」
 最近そのことを考えるとき、「被災地」を訪問するなかで伺った話が頭をよぎる。「避難所にいたかもしれないMSM (*2)のHIV感染者に、抗HIV薬を届けることができなかったそうです。避難所で、『HIV感染者です』と、誰が声をあげることができると思いますか?」。


2010年3月某日 「回復したい表現」
 アート実践者たちの活動を支援する市民ファンドの立ち上げについて話し合ったのは、2011年2月の理事会でだった。それから1ヶ月後、東日本大震災が起こった。その1週間後、急遽内容を変更し『全国アートNPOフォーラムin鳥取』(*3)を開催、震災支援プラットフォームの立ち上げが約束された。具体的にどのようなアクションをおこなうかまでは決まらなかったが、この機会に寄附分配による市民ファンドを生み出せなければ、二度とつくれないだろうということは予感していた。そして、1ヶ月後の4月10日、「被災地」でのアート実践者たちの活動を、寄附を通して支援する「アートNPOエイド」が立ち上がった。これまでに600万円を超える寄附が寄せられ、17のプロジェクトに対し400万円を超える活動支援金を分配してきたほか、音響機器の貸し出し、コーディネート、そしてレポートやコラムなどをウェブに展開している。

 「表現の回復にむけて/Restoring the power of expression」
 この、アートNPOエイドのコピーには、自分たちなりの思いを込めたつもりでいる。震災のちょうど1年前、「まいづるRB (*4)」が企画した「とつとつダンス」(*5)を鑑賞した。アフターパフォーマンスに、アーティストとゲストトーカーによる座談会が催された。一言一句はもはや失念してしまったけれど、そこで話されたことのうち、「とつとつ」について触れた発言が心に留まった。とつとつ(訥々)という状態それは、まだ「言の内」にあるコトバにならないコトバ、口ごもりつつ語ろうとする、「表」に「現われた」のか「現れていない」のかわからない状態。
 これを聞いたとき、〈わたし〉は、慌ただしく時間に追われる日々を営むなかで、「言の外」に出ていないけれど、否応なく(あるいは予期せず)表に溢れ滲み出てしまう「表現」に、じっくりと時間をかけて、たいせつに向き合ってきただろうかと内省した。〈わたしたち〉はつい、巧みなアーティストに表現を委ねてしまうが、このとても不器用で、見落としがちな言の内こそが、〈わたし〉が切実に「回復したい」と望む「表現」なのだと、ハッとした。そして、言の内への「眼差し」を〈わたしたち〉はどうすれば「取り戻す」ことができるのか、と。
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1980年代 「日常の一コマ」
〈わたし〉がこどものころのこと。親戚からイノシシの脚をもらってきた父は、肉を削ぎ、七輪に炭をいこし、ひとり家の外で焼き肉をはじめる。ほどなくすると、肉の焼けるにおいにつられて、近所の男たちがビールを持ってやってくる。そうして庭が宴会場になると、〈わたし〉は、おこぼれに預かろうと、酔っ払いたちのそばにちょこんと座るのが常だった。そこに、いまの〈わたし〉が〈アーティスト〉をつれてやって来たら、どういうことが起こるのだろうと妄想することがある。
 都市生活者としての〈わたし〉やグローバルな身体をもつ〈アーティスト〉が介入することにより、そこにある日常の営みは、即座に都市あるいはグローバルなネットワークに組み込まれ「剰余価値」の生産に動員させられてしまう(*6)。好むと好まざるとにかかわらず、「(付加)価値がある」、あるいは「価値がない」という資本の論理に回収されてしまうのだ。この否応無く帯びてしまう逃れられない権力性を自覚し、介入のポジションを認識し、生活のなかで気づかれないまま野ざらしにされている「違い」や「差異」を表現するのがほかでもない〈よそ者〉としての〈アーティスト〉だとするならば、その宴会に集えないと口籠もる〈近所の新参者〉や〈家事に勤しむ「女」〉たちの言の内に眼差しを注ぎ、別の時間を生きるもの同士の対話の回路をつむぎ、ローカルなコミュニティに漂う抑圧や規範から解放してくれることを〈わたし〉は切望する。


2011年8月某日 「『民』が群れる日」
 ときどき、〈わたし〉の妄想を超えてとても興奮するアートに出くわすことがある。些細でなにげない日常が、まったく異なる「経験」へと変容していく瞬間に出会えたときに、とても強い衝撃を受ける。日常がひっくり返るような感覚を覚えるのだ。そのときアーティストは、往々にして、そこに集う〈群衆〉のひとりにとけ込んでいるようにさえ思う。指導者なき〈群衆〉が内的差異を保ちつつ、共同作業を介してつながっているのをみると、とてもうつくしいメロディが奏でられているような気持ちになる。しかも、〈群衆〉がただうつくしく輝くだけじゃなく、誰が語るともなく、そこに自然とメッセージ性が立ち現れてくるからおもしろい。そこに至るまでには、たいへんな苦労があったに違いないし、合意形成に時間をかけて、たくさんの議論を積み重ねたんだろう。反対意見に苦心したことも想像に難くない。
「オーケストラFUKUSHIMA!」(*7)では、まさにそんな感覚になった。
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現在 「自治的公共空間としてのアートスペース」
 果たしてアート実践者たちは、ほんとうに日々の不幸、制度の外に追いやられた人々、コミュニティから排除された人々に無関心だったのだろうか。〈わたし〉は決してそうは思っていない。ART LAB OVA (*8)が、拠点を構える若葉町を中心に多文化と共同体の可能性を模索する姿勢や、こえとことばとこころの部屋(ココルーム)(*9)が釜ヶ崎にひらく縁側のようなカマン・メディアセンター (*10)の存在は、〈わたし〉を勇気づける。かつて前島アートセンターが栄町市場内にひらいていた「おきなわ時間美術館」は、とつとつと表現する姿を煩わしいこととせず、それに向き合う時間を提供していた。それらは、ときに困難な状況にある人たちとのいざこざをも内包しながらだが、誰もが行きつ戻りつできる「場」をうみだしている。況んやこれらは、自治的に運営される「公共空間」ではないか。
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2009年10月某日 「NPOの取りうる方法論は、『表現』」
 全国アートNPOフォーラムin舞鶴で、行政の公共独占主義について、セゾン文化財団 (*11)の片山正夫氏がお話しをしてくれたことがあった。そういえば、いつ〈わたしたち〉は身の回りの生活の決定権を行政に預け任せてしまったのだろう。
 都会で放浪生活をする〈わたし〉のような〈人々〉が自治を放棄したのかもしれないし、閉ざされた関係性に執着してきた〈わたしたち〉が公共をめんどくさがったのかもしれないし、〈人々〉を管理するための「制度」がより巧妙になったからかもしれない。理由はなんにせよ、〈わたしたち〉は、連綿と培ってきた自ら治める力も、その智恵も、さらには空間さえも失ってしまった。自治と公共を生活から切り離し、行政や企業によって提供されるサービスへとアウトソーシングしたのである。
「自治とは、表現である」と、新川達郎氏がいみじくも語った(*12)通り、〈わたしたち〉はとどのつまり「表現」することを手放したのだ。そして、そのしわ寄せがいま、不幸となって、どっと押し寄せている。
 アートNPOデータバンク2008のなかで山田創平氏はこう指摘する。「具体的に取り組まれる課題が、HIV感染対策であれ、地域振興であれ、他のどのような課題であれ、NPOが取りうる方法論は「表現する」という一言に尽きる。表現することで人は変わるし、社会も変わる。高度に全体化してゆく世界のただなかにあって、NPOの実践は民主的な社会を実現する重要な試みであろう。(*13)


2010年冬 「表現の最突端に佇む」
 これらアートにまつわる公共空間は、表現を醸成する「創造拠点」として、さまざまな人に場を解放している(*14)。2010年におこなったアートNPO活動概況調査のなかで、創造拠点をめぐる座談会を開催した。そこでの美術家・藤井光氏の言及が興味深い。
普段は自分の場所で生きているんですが、呼ばれて創造拠点に行くことがあります。そこには、特有の文化があり、そこに住んでいる人がいて、そこに合わせて作品を創作する。(中略)けれど、僕は、アーティストも一人の生活者として、積み上げていく歴史や創造物というものがあると考えています。それが突然、ほかのファクターを入れ込んでそこで何かあたらしいものをつくって発表するという形、そこから生まれる創造物というのはいったい何なのかと。(中略)つまり、『柔軟なアーティストで、楽しくつくっていただけるようなアーティストが呼ばれていく』という風潮には疑問があるんです。(*14)と、危惧を呈する。
「野蛮さ」を兼ね備えたアート実践者たちは、表現の最突端に佇んでいる。ときに知的に暴力的で、攻撃的で、脅迫的ですらある。日々がいつも穏やかでないのと同じように、アートもまた、ときに穏やかでない。群衆のハーモニーが、必ずしもたおやかであるとは限らない。社会のなかに「野蛮な」アート実践者が必要な存在であるという認識を、どう醸成することができるのか。


2007年12月某日 「多様な人々を包摂する場」
 ふたたび山田創平氏の言葉を拝借したい。
アートは、『表現』という方法を用いながら、社会において支配的な規範や文脈、既存の、権力を帯びた文脈をずらすことで、それに対峙する人々に今までにないアイデアや価値観をもたらす表現様式であろう。アートは人々が今までとは違った行動を起こすための触媒/契機となり、人々をエンパワーメントする。だが一方で、『地域』と『アート』との関わりは大きな危険をはらんでもいる。(中略)『地域の文化』は、『地域』と『人々』が、数百年にわたる相補的で密接な関係の結果として生み出してきたものである。その意味で『地域の文化』は、そこに生きる人々そのものであるともいえるだろう。つまり『地域の文化』を変えるという試みは、『地域の人々』を変えるということを意味するのだ。この種の実践には多大な責任が伴うことは言うまでもない。 (*15)
〈わたしたち〉は、2007年に発表した「淡路島アート議定書!」のなかで、土地土地で繰り広げられるアートプロジェクトは、「気づかざるもの」に光を当て、それによって地域を変える創造力を喚起させる(*16)と宣言した。しかしそれは、固有の風土や風習、魅力的な人々、朽ち果てた遺構や古民家に光を当てるばかりではない。「気づかざる」差別の構造を暴露することかもしれないし、「気づかれざる」不幸を現前させる場合もあるだろう。
 土地土地に根ざした自治的に営まれる公共空間としての創造拠点は、アートプロジェクトの場となり、表現と眼差しを培う場となり、事実、多様な人々を包摂し、勇気づける場となっている(*14)
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今日午後5時12分 「民主的な社会の実現にむけた、野蛮なくわだて」
 逆説的だが、アートが政治的(Plitics)でないというならば、それはまた政治的であるということであり、アートが社会に関わらないとするならば、それも社会に関わるということである。アーティストが地域に介入することが暴力的な権力の行使だとするならば、地域での固定化した関係性による排除もまた、地域の帯びる暴力的な権力性ゆえである。
〈わたしたち〉がアート実践者に強く求めるのは、失った「自ら治める力」を民主的な実践によって再構築しようとする試みではないか。アートは、「高度に全体化してゆく世界」のなかで、複雑なノイズとなって地域社会に埋め込まれていく。そのノイズは、〈人々〉を精神的に解放することもあれば、心を揺さぶることもあるし、共鳴し、「行動を起こすため」に連帯を促すこともある。「社会において支配的な規範」を揺るがすがゆえに、琴線に触れ人々を分断し、軋轢となって摩擦をもたらすこともある。ともかくも、さまざまな意見や対話が巻き起こることこそが、〈わたし〉は、民主的で豊かな社会であるように思っている。ナイーブになる必要はない。「野蛮な」アート実践者たちの存在を社会に示すためにも、対話を生み出し、軽やかに境界を超えていく「表現」をたくさん積み重ねていくことだ。
 アート実践者たちがおこなっている民主的な実践を別のことばに言い換えると、「人権」だろう。〈群衆〉の多様な表現を尊重し、その表現を社会に担保し、表現の自由を保障する、まさに「人権」そのものだ。1960年代の女性解放運動のスローガンに「個人的なことは政治的である(The Personal is Political)」(*17)という有名な言葉がある。FacebookなどSNSをみていると、いまこの言葉が違うリアリティとなって迫ってくる。アラブの春、オキュパイ・ムーブメント、そして反原発デモ...、民主的な社会と基本的人権を欲する個人が発することばが、人々を連帯させ、グローバルにつながるようになった。
 いまこそ、表現を、〈民〉自らが支える仕組みをつくることができないか。社会を変えたいと切実に願うローカルに根ざす〈人々〉がいて、〈人々〉の行動様式を変えうるグローバルな〈技術(Arts)〉がある。多数多様な〈人々〉が排除されることなく、さまざまな差異を保ちながら連帯する社会への変革を、ほかでもない〈わたし〉が切望しているのだ。
 アートNPOエイドが応援するのは、社会を変えたいと願い行動する〈人々〉を連帯させる、とっても「野蛮」なアート実践者たちの「くわだて」であり、アートNPOエイドが求めるものは、その「野蛮」なアート実践者たちの活動を支援する〈群衆〉の「声」であり、表現を下支えする「寄附」である。ひとえに、自主的で自立的で民主的な市民社会の実現のために。
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*0 アートNPO
文化芸術に係る活動を実施している市民団体、および主な活動領域は異なっているが、文化芸術に関わりのある活動をしている市民団体を総称して「アートNPO」と表記している。また、アートNPOリンクは、NPOを広義の意味でとらえており、特定非営利活動法人に限らず、実行委員会やアーティスト・コレクティブといった任意団体、災害支援のために集まったグループなど、非営利(Non-Profit)でオルタナティブな活動をしている組織(Organization)全般を指すことばとして使用している。また、「アート(Arts)」を専門性や分野・領域で括らず幅広く捉えており、特定のジャンルのみを表明するものではない。
*1 アートNPOエイド 〜表現の回復にむけて〜
2011年3月11日に発生した東日本大震災(東北関東大震災)をうけ、アーティストならびにアートNPOの表現の回復を推進するプラットフォーム「アートNPOエイド」を設立。このプラットフォームでは、アーティストやアートNPOによる復興に向けた取り組みや、被災した地域に住まい活動してきたアートNPOの活動再開を応援するため、活動支援を目的とした寄附募集やウェブメディアを開設。
設立の経緯は、メンバーの山口洋典氏(應典院寺町倶楽部事務局長)のコラムに詳しい。
*2 MSM=Men who have sex with menの略。男性間性交渉者。同性と性行為をする男性を意味する言葉である。この言葉の意味する男性には、本人の自認するセクシュアリティーの内容は問わない。(Wikipediaより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ 男性間性交渉者
*3 全国アートNPOフォーラムin鳥取(2011年3月18日(金)~20日(日))
*4 まいづるRB
*5 とつとつダンス
ダンサー・振付家の砂連尾理氏と舞鶴市内の特別養護老人ホーム「グレイスヴィルまいづる」に滞在する高齢者と子どもたちとが、2009年12月より約四ヶ月間、ダンス・ワークショップを継続的に行い、2010年3月7日に、ダンス公演開催。
アフタートーク(座談会)には、西川勝氏(大阪大学CSCD特任准教授)、細馬宏通氏(滋賀県立大学人間文化学部教授)、古後奈緒子氏(ダンス批評家)、淡路由紀子氏(グレイスヴィルまいづる施設長)、砂連尾理氏(振付家/ダンサー)が登壇。
*6 AAF学校2009「芸術とマルチチュード」講師:廣瀬純(龍谷大学経営学部准教授)
http://artsnpo.exblog.jp/10308196/
*7 オーケストラFUKUSHIMA!
アマチュア/プロフェッショナルを問わない一般公募のメンバーによる、特殊巨大オーケストラ。指揮者が出すコマンド(指示)と、それを即興で解釈するオーケストラ・メンバーとの駆け引きに加え、そこから生まれた音楽が個人の演奏を超えて相互に共振し、あらたな音の場を作り出す。
*8 ART LAB OVA
*9 こえとことばとこころの部屋(ココルーム)
*10 カマン・メディアセンター
*11 セゾン文化財団
*12 2011年10月16日に開催した、「全国アートNPOフォーラムin大阪」内のクロストーク「震災とアート、自治」新川達郎氏(同志社大学大学院総合政策科学研究科教授)× 中川幾郎(帝塚山大学法政策学部公共政策学科教授)にて発言された。
*13 アートNPOデータバンク2008(発行:NPO法人アートNPOリンク)P54〜P59
「地域基盤的NPOにおける調査研究の重要性」山田創平(京都精華大学人文学部専任講師/NPO法人関西エイズ対策協議会理事)
*14 アートNPOデータバンク2010(発行:NPO法人アートNPOリンク) P94〜P109
リサーチ「どこにどんな創造拠点があるんだろう」
*15 アートNPOデータバンク2010(発行:NPO法人アートNPOリンク)P111
座談会|調査のまとめ
*16 淡路島アート議定書(全国アートNPOフォーラムin淡路島 2007年12月15日)の「2. 芸術文化こそ地域創造の切り札に」にて、「アートNPOは、人々のつぶやきを拾い、気づかざる価値に光を当てることによって、地域を変える創造力を喚起し、それを育んでいきます。」と宣言している。
*17 個人的なことは政治的である(The Personal is Political)
現代社会における性差別は、個人的・私的生活領域における男性支配に根拠を持つゆえに、従来女性の個人的・私的経験であるとされていたものの中には、女性という性を持つ人々共通の政治的問題が含まれているという主張。第二波フェミニズム運動台頭期に、ラジカル-フェミニズムによって提唱されたスローガン。(大辞林より)
参考:ケイト・ミレットの「性の政治学」、シュラミス・ファイアストーンの「性の弁証法」

●(掲載写真 一番上から順に)
プロジェクトFUKUSHIMA! 福島大風呂敷
タノンティア
プロジェクトFUKUSHIMA! オーケストラFUKUSHIMA!
大阪市西成区 動物園前一番街
全国アートNPOフォーラムin沖縄 那覇市安里 栄町市場
出来事のホームセンター はこび 


著者プロフィール:

photo.jpgのサムネール画像樋口貞幸(ひぐち・さだゆき)
フリーランス・アート・アドミニストレーター/芸術労働者
1976年生まれ。大学在学中にアートボランティアの活動に参加。その経験を活かし、1999年、ARTS STAFF NETWORKを設立。さまざまなアートイベント、舞台公演などの現場に関わる。2003年、第1回全国アートNPOフォーラム in 神戸実行委員会事務局を担当。2004年アートNPOリンク事務局発足と同時に事務局長に就任。現在、ARTS STAFF NETWORK、NAMURA ART MEETING'04-'34事務局、NPO法人アートNPOリンク常務理事兼事務局長などの事務局業務を担当している。


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2011年3月11日に発生した東日本大震災後、NPO法人アートNPOリンクは、いちはやく「アートNPOエイド 〜表現の回復にむけて〜」を立ち上げました。今回、この試みに当初より関わり、持続して運営に尽力されているNPO法人アートNPOリンク常務理事兼事務局長である樋口貞幸さんにお原稿をお願いしました。
AAFネットワーク実行委員会においても、震災以降、「AAFネットワーク活動支援募金」の呼びかけを引き続き行っています。しかし震災より1年5か月を経て、あらためて「支援」することの意味を問い直す必要を切に感じていました。
樋口さんにいただいたお原稿は、たんに震災との関わりにとどまらず、個々人がこの時代にどう向き合うことができるのかを問うものとなっていると感じます。
心よりお礼申し上げます。
2012年8月11日 AAFネットワーク実行委員会事務局