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交流プログラム 2012.07.30

2012交流支援プログラムレポート01「311東北~若葉町~アジア|プロローグ」


AAF参加団体、ネットワーク団体の担当者が交流する「地域間交流支援プログラム」。それぞれの現場やまちの空気にふれながら、たがいの現状をゆっくりと話し合い、アイデアやノウハウの交換を行うことができるように、と始まりました。現在では、新しい視点を獲得することで、あるいは別の視点が持ち込まれるによって、これまでにないプロジェクトが立ち現れようとしています。
2012年最初のレポートは、ART LAB OVA(神奈川県横浜市中区)です。

 
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<レポート>

宮城県|仙台

2012年7月2日(月)、スズキクリと蔭山ヅルにとって、修学旅行以来の仙台に到着した。

「横浜下町パラダイスまつり」にも何度か参加してくれているアーティストの門脇篤さんが、2011年3月13日~14日に那須塩原から仙台に駆け戻った「あの自転車」に乗って迎えにきてくれた。

仙台は、何もなかったような、いや、それ以上の活気。
仙台市国際交流協会の方などに薦められていたタイ・レストラン「バンタイランナー」でランチをしたが、ここも満席だった。
わたしたちといえば、6月29日に、若葉町タイ・レストランの安全パイと信じていた「イヤムプシャナー」の衝撃的な閉店と解体を目の当たりにしたばかりだった。若葉町で外食する人は日に日に減少し、それに伴い店も減っている。
しかし、「被災地」と思ってやってきた仙台は、思いのほか賑わっている。
「いつか死ぬんだし、お金持っていてもしょうがいないじゃない」という人が多いとも聞く。
それは、ある意味ショックな光景だった。

「バンタイランナー」のママさんは、気さくにインタビューに答えてくれた。
あの日からしばらく、この店もタイ人の避難所になっていたという。
昨年の横浜下町パラダイスまつりで、タイ・カラオケを披露してくれた若葉町在住20年のタイ人、パテートにタイ語で質問を書いてもらっていたので、それを見せると、どこに行っても反応がいい。

▼仙台のタイ人311インタビュー


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宮城県|南三陸

2009年に「横浜下町パラダイスまつり」で、アーティストの中川るなさんが切り絵を展示したことで、通りすがりの在日中国人のおじいさんと仲良くなった。
その後、2010年の「ENVISI〜南三陸きりこプロジェクト」で、大連から南三陸に嫁いできた女性が中国の切り絵を披露されていたのを知った。わたしたちにとって、切り絵を通じて若葉町の中国の人と何かができたらいいなあ、と考えていた中での311でもあり、ずっと大連出身の女性のことが気になっていた。

そこから、2012年11月にART LAB OVA主催で開催するプロジェクト「311東北~若葉町~アジア」が立ち上がった。
東北在住の中国、韓国、タイにつながる人たちの話を、アジアのアーティストたちとともに聞いて回り、その結果を若葉町で報告することにより、東北、若葉町、そしてアジアの中国、韓国、タイ、日本をつなぐプロジェクトだ。
今回の旅は、「311東北~若葉町~アジア」の調査も兼ねていて、東北在住の外国につながる人たちに、311インタビューをさせてもらった。
もちろん、その筆頭は、南三陸の女性たちだ。
中国語の質問は、若葉町の中華料理店「皇膳門」のママに書いてもらった。

▼南三陸在住、中国大連出身の女性311インタビュー
▼南三陸在住、台湾出身の女性の311インタビュー

「絆という言葉に恨みがある」
「311以降、家族でさえ、人を信じられなくなった」
「今は、まだ、一日一日を過ごすことしかできない」
「すべてはお金なんですよ」
台湾出身の女性のインタビューは赤裸々で考えさせられる。
そして、初対面のわたしたちにこれだけいろいろなことを話してくれたその姿に、改めて、「きりこプロジェクト」でつながる女性たちの深い信頼関係を感じた。
一方で、吉川由美さんほか、「きりこプロジェクト」の方々から、「311以降、彼女たちともほとんど話ができていない。こういう機会を作ってくれてありがとう」と感謝をされた。みなさん住む場所もバラバラになり、それぞれに多忙で、そして何よりも、津波ですべて流されてしまったので集まる場所がないという。

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台湾出身の女性が住んでいた地域にあった公園。今はガレキが山積みになっている。


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宮城県|女川~石巻

南三陸の後、門脇さんの運転で、雄勝経由で、女川入りをした。
ここで、対話工房の海子揮一さんとともに、漁協の方に、被災した中国人研修生の現状や、研修生を避難させているうちに犠牲になったことで美談として語られている方の話などを伺った。

そして、ここからは海子さんの車で石巻へ。
海子さんが、よく利用されているという中華料理店で話を伺う。
ここでも、「皇膳門」のママに書いてもらった中国語の質問を見せたが、どうやら、50代らしき店主は、文字を読めないようだった。
後で、「皇膳門」で聞くと、中国の田舎で生まれ育った人は、30歳代でも読み書きができない人がいるらしい。
この店主は、妻の母親が、中国残留孤児で身元が判明したために、1990年ころに一家揃って新天地に引っ越してきたという。
津波の被害も10センチ程度だったし、日本には200人以上の親戚がいるので、何も困っていないらしい。
「ワタシハ、ニホンジンデス」と胸をはった。

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石巻の街角。仙台とちがってシャッター街が続くがそれは311以前からのことだという。


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宮城県|亘理町

インターネットで、福島に近い亘理町(わたりちょう)にもタイ・レストランがあると知ったので、翌々日、門脇さんに連れていってもらった。

▼宮城県亘理町のタイ人311インタビュー

門脇さんが以前何度か仕事をしたことがあるという、亘理の役所にも立ち寄った。
すると職員はとつぜん門脇さんに、「2月にオープンした亘理町の復興市場に、看板もなく、人が来ないので困っている。誰か壁画の描ける人を紹介してほしい」と言い出した。
さっそくそれらしき場所を探してみた。田んぼの中にポツンと、看板も何もないただのプレハブ小屋が何棟かある。確かに誰も「市場」とは思わない。平日の午後とはいえ閑散としていた。「仙台には、壁画を描くボランティアが何人かいるらしいですよ」とつぶやきながら、門脇さんは壁画を自分で描くことに決めて、その場でスケッチをはじめた。

魚屋に入ってみた。ここは、荒浜にあったお店の市場だそうだ。
「荒浜」で検索すると311の翌日に数百の遺体が海岸に打ち上げられたというニュースが出てくる。
ここの社長さんも流されてしまったという。
「横浜から来た」というと「全国で開催されている復興市で大もうけしている店があるって話も聞くんですが、うちはそんなコネも人手もないんで、どうにかしてこれを販売したいんです!」と名刺を渡された。そこで販売していたのは、「函館のイカ墨付サキイカ」だった。

120706-124007.jpgのサムネール画像
2012年7月6日の「亘理ふるさと復興市場」外観。現在は、門脇さんがデザインしたのぼり旗と看板が壁面にあるらしい。

南三陸や仙台では、「大学の学生たちが中途半端に何かをやって帰った」という一方的な「支援」の一端を垣間見せてもらっていた。石巻には、NPOなどが運営するカフェやフリースペースが多かった。
被災地によっては、支援が集中し、被災者自身のできることも支援してしまうという批判もあるそうだ。
どうやら、「人気の被災地」と「人気のない被災地」、もしくは、「不要な支援」と「知られにくい必要な支援」が存在するらしい。

たとえば、津波ですべてがきれいに流されてしまった町は、被害が写真に写らないので、報道が入らなかったとも聞く。
こうして自分で訪ねてみると、SNSにも乗らない、小さな格差や小さな問題が山積みになり、それが、じわじわと肥大化していく様子を感じる。

その傍らで、門脇篤さんが嬉々として、視覚化されない(もしくは視覚化しない)地味な活動をしている。その姿が非常に印象深かった。


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福島県|いわき

仙台から高速バスでいわきに向かった。
「TSUMUGUプロジェクト実行委員会」の田中桂さんが、ニューカマーの人が経営しているらしき韓国料理店を調べておいてくれたので、そこで夕飯を食べた。
まだ19時だが3人組の自分たちがやっと座れたのはカウンター席、というくらいの大盛況。
いわきもまた、311以降のほうが賑わっているらしい。

この店の店主は30年前に留学生として東京に来て、1997年から311まで福島県湯本でホテルを経営していたという。
「東京に留学してなぜいわきに来たのですか?」との問いに当たり前のように返ってきた一言。
「湯本に鉱山があったから、在日の人がたくさんいたんですよ」
そういえば、現在若葉町在住で大阪鶴橋出身のおばあちゃんも「一時期いわきで焼肉屋をやっていた」といっていた。
その裏に、そんな歴史があったとは知らなかった。

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韓国料理店の店主に「わたしたちの知り合いのおばあちゃんが「88」という焼肉屋をやっていたらしいんです」と話すと「裏道でその看板みかけたよ。韓国人だなと思ったんで憶えている」と教えてくれたので翌日裏道を探し回ってみつけた。韓国人にとって「88」とは1988年ソウルオリンピックの年を表す。1989年の民主化前夜の意味でもある。

翌日のランチは、311以降、富岡町からいわきに引っ越してきたというタイ・レストランに行った。ここも、大入満員だった。

▼ふくしま在住タイ人311インタビュー

そして、この旅の最後に田仲さんにインタビューをさせてもらった。
毎日の日課として出掛けに放射線量を計ってから出発した。

▼ふくしまで生きる田仲桂さんインタビュー

田仲さんは「PRAY+LIFE」の藤城光さんとともに、311以降起きた様々な心の変化をたとえば「お米を食べるようになった日」と折れ線グラフに表すなどして、自分たちの気持ちを客観的にみる努力をしているという。
311以降、この一時一時に悩み、常に、何が正しいのか、どうしたらいいのかがわからず、気持ちが揺れ続け、田仲さんは「もう、疲れちゃった」と繰り返す。


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神奈川県|横浜市若葉町

テレビでは毎日どのチャンネルも横並びのニュースが流されている。
SNSでは毎日「脱原発」「がれき受け入れ反対」の情報が流れてくる。
わたしたちは、どちらの情報にも疑問をもっていた。
そして、東北に行って、あらためて「被災地」はひとつではないことを実感した。

中心地にガレキの山が散在する南三陸では、「放射能は出ていないしすぐにガレキを受け入れてほしい」と、
女川では、「ガレキはほとんど流されて東京都の受け入れ分にも達していない」と、
福島では「ガレキは被災地で処分したほうがいい」と、
いう声を聞いた。
そしてこれらも、このときにわたしたちが聞いた一部の声に過ぎない。


至極当然のことながら、問題はひとつではなく、様々な角度から考えるべきことが存在する。
この旅は、わたしたちにとって、一対一の関係の中で立ち現れたことと向き合っていく重要性を改めて確認した旅だった。


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<開催概要データ>
[企画名]「311東北~若葉町~アジア」プロローグ
[実施日] 2012年7月2日(月)~7月7日(土)
[訪問者]スズキクリ+蔭山ヅル(ART LAB OVA)【神奈川県横浜市】
[招聘者]吉川由美(ENVISI)【宮城県南三陸町】+海子輝一(対話工房)【宮城県女川市】+田仲桂(TSUMUGUプロジェクト実行委員会)+藤城光(PRAY+LIFE)【福島県いわき市】


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<タイムテーブル>
◎2012年7月2日(月)
14:00-  仙台在住、タイ人311インタビュー
◎2012年7月3日(火)
11:00-  南三陸在住、台湾出身の女性311インタビュー
12:30-  南三陸在住、中国大連出身の女性311インタビュー
◎2012年7月4日(水)
南三陸~雄勝~女川~石巻~仙台
◎2012年7月5日(木)
12:00-  名取在住、タイ人311インタビュー
    名取在住、中国青島出身の女性311インタビュー
15:00-  東日本大震災 被災地岩手・宮城・福島三県地域国際化協会からの報告
シンポジウム『伝える・支える・立ち上がる...未来に繋げ、私たちの経験』参加
◎2012年7月6日(金)
14:00-  亘理在住、タイ人311インタビュー
19:00-  いわき在住、韓国人インタビュー
◎2012年7月7日(火)
13:00-  いわき在住、タイ人311インタビュー
16:00-  『岸井大輔による「田んぼの記憶」リサーチワークショップシリーズ』参加


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<執筆者プロフィール>
ART LAB OVA
1996年、アーティスト・ランの非営利団体として設立。
横浜唯一の独立系映画館「シネマ・ジャック&ベティ」1階の横浜パラダイス会館を拠点に、映画館、スナック、商店街、動物園、学校、福祉施設など、まちの狭間で「場」や「出来事」を通じて「関わり」を探るアートプロジェクトを展開。
現在、毎年夏に「横浜下町パラダイスまつり」と映画祭「よこはま若葉町多文化映画祭」を同時開催している。

▼横浜下町パラダイスまつり+よこはま若葉町多文化映画祭ブログ