メッセージ RSS

メッセージ 2012.04.02

#10 松田 文(パオ広場)

売れ残りの分譲団地の中にポツンと建っていたプレハブの建物が私の職場だった。私はそこで金色のススキヶ原の風景を眺めながら身体障がい者の介助の仕事をしていた。
しかし3.11以後、ススキヶ原はあわせて1000世帯分の仮設住宅群に変わってしまった。住民の多くはいわゆる「30km圏内」からの避難者たちだ。
やがて、仮設住宅群に包囲された職場の敷地内に設置したドーム型ビニルハウス3基を拠点に「パオ広場」が始まり、私はパオ広場のスタッフとなった。
「パオ」の中に宿題のできる机や椅子、絵本を置き、子どもたちの秘密基地的な空間をつくった。屋外にはウッドデッキを張り、樹木を植え、庭を失った方々の共同庭や散歩コースをイメージした。敷地の一角には畑もできた。無料マッサージや、月に1、2回は他団体の支援イベントを受け入れた。

パオ広場を始めて半年になる。昼間は年配の方々のお茶飲み場になり、放課後は子どもたちが大勢遊びに来るようになった。そのほとんどが広野町の子である。広野町は今年3月から役場機能がいわき市から元の広野町に戻った仮設住宅近くの小学校に間借りしていた広野小も2学期から開校予定で、仮設住宅に住む広野小生は毎日スクールバスで広野町へ通うことになる。子どもたちを乗せたバスが、Jビレッジへ向かう原発作業員たちを乗せた大型バスに連なって北へ向かう光景を想像するだけで私は胸が苦しくなり、涙さえ出てくる。通学時間が長くなれば子どもたちは放課後パオ広場に遊びに来られなくなるだろう。それでも「広野小は広いし給食が食べられるから早く元の広野小に通いたい」と言う子どももいる。自宅に帰ることに決めた家族もいる。「いわきの小学校に転校させたらみんなバラバラになってかわいそう。みんなで元の広野小に戻るのが一番良い」と言う大人もいる。

先日私が計測してきた広野小周辺の放射線量は0.3~0.5μSV/h。広野町役場に勤める職員のほとんどは未だいわきから通勤している
放射線量が低くはない場所に仮り住まいしながら、さらに線量の高い地域に子どもを通わせる~圏内の家に戻る~だが決して子どもを愛していない訳ではない~むしろ愛していたりもする~子どもをどう守るかはそれぞれの家族の判断だ~自分にはどうしようもない。でも本当にそう?それでいいのか?…頭の中は原発事故に関するいろんなことが堂々巡りでなんだか休息の余地がない……
原発事故処理の関係者が犇くこの低線量シティに住むことを私たちは強制されてはいない。逃げる自由もあるのに私は逃げない選択をしている。史上最悪なノンフィクション作品をせっかくだから近くで見届けたい気持ちも少しある。

 

菜の花咲いたよ.JPGパオ広場
ティーサロン.JPGティーサロンの様子

 

 


 

 

松田プロフィール写真.JPG

松田文(まつだ あや)

 


1974年いわき市に生まれる。高校卒業後、職を点々とする。2008年、「Art!Port!Onahama」でAAFに参加。現在、いわき市中央台の仮設住宅サポートセンター
「パオ広場」のスタッフをしている。3.11、陸前高田市にある松田家の本家が津波で消失。足元が揺らぎました。