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メッセージ 2011.11.01

#04 三宅 航太郎(うかぶ)

 AAF参加事業であった期間限定のスペース「かじこ」を終えたあと、私は、かじこの運営メンバーのひとりであった蛇谷りえと、鳥取の田舎で「うかぶ」という拠点をつくっている。拠点というか、次の「かじこ」のようなもののための準備室というか、家というか、そんな場所だ。いつ開かれるかもわからない文化祭の準備を、じっくりおこなっているような気分でただただ暮らしている。
かじこでは、誰しもおなかがすくとご飯を食べるし、眠くなったら寝るし、陽の光で朝を迎えるというような、そんな当たり前の行動をとる。それは、そこが生活する場所だったからだ。瀬戸内国際芸術祭の期間と同じくして開かれていたかじこにずっと暮らしていた私は、色々な人たちが行う、人間の「生きる」という同じ行為を垣間見るにつれ、その「生活」そのものに興味を抱いていった。そしてまた、そんな場所を今度は期間を設けずにつくってみたいと思ったのだ。

 鳥取でお借りできた物件は、元漁師小屋のようなボロ小屋とワンルームで、一周12kmもある大きな池のほとりに位置する。一部は使えるような状況ではなかったので、解体して更地にし、その廃材を用いて基礎から家を建てている。なんとか使える床を貼り直しただけの奥のワンルームで寝起きし、家をつくりながら生活していく過程はとても豊かな時間だ。キャンプのような暮らしから、ひとつひとつ暮らしやすい状況をつくっていく。とめどなく流れる水は、蛇口で扱えるようになり、日本海から押し寄せる強い風は壁が、光や雨は屋根がそれぞれ遮る。
出来上がっていく家(ボロ小屋)は、以前より快適で便利になっていく。しかし、そうやって暮らしやすくなる一方で、今まで直接的に感じてきた水や風、光や雨などがありのまま感じられなくなる。また、ここでの生活は、畑でとれた野菜をそのままもらうこともあれば、お世話になっているおかぁさん方は電話やメールではなく突然家に来て話をしていく。ここで暮らすことで感じられるこの直接性は、どこかに忘れていた感覚を蘇らせることがある。そして同時に、家づくりでいう蛇口、壁や屋根、野菜でいうスーパーやお金、人間関係でいう携帯電話など、間に入ってくる媒体についても考えてしまう。直接的な感覚を悦ぶありのままの身体が存在しながら、媒体が入ることで暮らしやすくなる感覚も同時に存在する。その「素材」とうまく付き合うために、あるいは効率化や利便性のための「媒体」、あるいはコミュニティを存続させるためのものといってもいいかもしれない。どちらにしろ、そういったことが体験として気付き得る生活ができることは豊かで楽しい。

 前置きが長くなったが、AAFは、他の助成機関あるいはプロジェクトに例えられない「媒体」であり「素材」だ。時には出来事を誘発させ、参加者をつなぐ媒体となり、時には、その特性を活かしてうまく活動するための素材である。用途や意味を限定せず可変的であり、ここでの暮らしで感じた媒体や素材のように、関わり方によって変わっていく有機的な存在を、これからも遠くで近くで関わりながら、じわじわと効能が続いていくのを楽しみにしている。

 

 

 

miyake_profile.png

1982年、岡山市生まれ。鳥取東伯郡湯梨浜町にて、蛇谷りえと共同で、家《うかぶ》を整備しながら、まだ物件も見つからない、誰かのための生活の場所をじっくりことこと準備中。主なプロジェクトに《かじこ》(kajico.org)、「食事」の「おみくじ」=《おしょくじ》(おしょくじ.com)など。kotaromiyake.com

 

(写真:丹正和臣)