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レポート 2011.09.05

「AAF10周年特別企画 世界ネットワーク・プロジェクト」レポート


アジアから7名の若手アート関係者を招聘し、AAF実行委員、参加団体のメンバーとともに、東北のAAF拠点をめぐり、二つのシンポジウムを開催した「AAF10周年特別企画 世界ネットワーク・プロジェクト」。
2011年8月15日から21日の全日程に参加された松木まどかさんのプロジェクト参加レポートです。

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AAF10周年を迎え、3月の拡大実行委員会で、AAFがこれまでに培ってきたネットワークを世界へ広げようと確認した矢先の大震災。しかし、いまの日本をその目で見てほしいという思いも加わり、アジアから7名、日本から10数名という人数を迎え、この夏、東北のAAF拠点をめぐった。各国でコミュニティーアートを引っ張る若手リーダーたちはいまの日本に何を見たのか、自国でどんな活動をしていくのか、シンポジウムで語られたこれらについてはUstreamでご覧いただくとして、ここではUstreamに出てこないツアーの様子をお伝えできればと思う。

◎2011年8月15日(月) 福島 

バスを降りると、日差しと合わせて猛烈な湿度。それでも風が吹くと涼しくて、東北に着いたことを実感する。川の周りを緑が囲うのどかな景色。写真を撮りながら、マレーシアのピコさんが、美しい!と歓声をあげる。
「プロジェクトFUKUSHIMA!」の会場内はすでに物凄い熱気。入り口からいろいろな音が聞こえてくる。ちょうど「オーケストラFukushima」が始まるところで、大友さんがどこにいるのか分からないほどの人、人、人。周りで聴いている人たちもなぜか演奏しているように見える。猛暑のなかの突然の豪雨も野外フェスに欠かせない。少し人が減った夕方、黄みがかったライトのもと、ほろ酔いなリズムを取る。
その足元に広がるカラフルな「福島大風呂敷」は、この地が抱える現実をひっそり伝えている。絶望に押しつぶされそうな日々から、希望を取り戻すための第一歩。フィリピンのジェイさんが、「この風呂敷は、たとえ始まりが小さくとも、人びとをつなげて大きな変化になっていくものだ」と言った。

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◎2011年8月16日(火) 南三陸

南三陸のホテル観洋さんで、女将さん、ENVISIの吉川さん、通訳として来ていただいた齋藤さんが待っていた。海を挟んで向こうに見える薄茶色の地は、かつて町があった場所。そう知らされて、ガラス越しに写真を撮り始める一行。口数の少なかったシンガポールのバニさん、香港のファンさん、タイのノイさんが、昼食の時間を惜しんで齋藤さんと話し続ける。
「きりこプロジェクト」について伺う前に、女将さんの阿部さんからお話をいただいた。こうして座っているこの部屋もあの日は波の中だった。「避難というかたちであっても、ここに来てくださった方にはゆっくりとくつろいでいただきたい」という女将さんの言葉で思い出すのは、世界から称賛された東北の人たちの姿。だけど、「自分よりももっと大変な人たちがいる」と呪文のように唱えることで、いったいどれだけの痛みや悲しみを隠してきているのかと思うと、正直なところ、その称賛がなんだか苦しい。
吉川さんの紹介によるこれまでの「きりこプロジェクト」には、美しい南三陸と、プロジェクトに関わる方々のエネルギー溢れる姿がたくさんあった。3月11日、たった4分ですべてがなくなっていく様子が、プロジェクターに映し出され、語られる。じっと画を見つめたまま、マレーシアのピコさんがため息をつき、静かに首を振る。

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南三陸町の宮川さんと一緒にバスで町へ向かう。その現状に「言葉を失う」なんていう言葉しか出てこない。宮川さんの落ち着いた声から、かつてここにあったものの尊さが浮かび上がる。

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きりこの展示スペースで、雨をよけつつふわふわ揺れる真っ白なきりこに、いつのまにか顔が緩む。ここにはAAFの思いがたくさんたくさん詰まっている。雨に濡れたらなくなってしまいそうなこの紙たちに、どれほどの祈りと願いと希望がこめられていることか。

◎2011年8月17日(水) 仙台

何事もなかったかのような賑わいを見せる仙台市。訪問先の「せんだいメディアテーク」で、企画・活動支援室長の甲斐さんにお話をいただいた。市民が捉えた震災・復興を、それぞれがかたちにして発信する「3がつ11にちをわすれないためにセンター」。震災後の混乱のなか、このプロセスが思考整理につながっていることを知る。同時に、生まれ故郷仙台の、福島とも南三陸とも違う面を思い知ったのが、震災について考え語り合う『てつがくカフェ』の話。仙台の人たちから始めに出てきたテーマが「負い目」だった、と聞いたときだった。
負い目。両親や友人との会話を一気に思い出す。次々に入る沿岸部の情報、その横で着々と元に戻っていく仙台で、拭いきれない罪悪感。震災を現在形で話すことなんて許されず、使い尽くした「お蔭様で」と「よかったね」という言葉。津波被害の境目となった仙台東部道路を3ヶ月前に走ったとき、道路を挟んで片側は若葉色で、もう片側は灰色だった。いまはもう草に覆われて、ぼんやり見たら、どちらも同じ緑色。でもよく見ると片方の緑の中に不自然な青や白があって、船が残っていることに気づく。「負い目」という言葉を出した仙台の人たちを、どうしてもその光景と重ねてしまう。
 
◎2011年8月18日(木) 青森

青森は、雨。それだけではない涼しさに、ツアーの移動距離を肌に感じる。「国際芸術センター青森(ACAC)」を囲む深い緑も、かれいざわの途中に広がる、もやがかった濃い緑もどれもとても美しくて、なんて雨が似合うところなんだろうと思う。昨年ACACに滞在していたフィリピンのジェイさんが、周りの森を見て「変わってないな」と笑う。ACACとかれいざわアートICHIBAでは、滞在中のアーティストさんや地元の方々との交流もあり、これまで訪問した場所とは違うコミュニティのかたちを見ることができた。
かれいざわカレーで膨れたお腹を抱え、かれいざわの森へ高嶺格さんのツリーハウスを見に行く。ジェイさんが設置の手伝いをしたという話を聞きながらツリーハウスを見上げ、中に入る。その隣で、きゃあきゃあ笑いながらターザンロープを滑っていったピコさん。韓国のキムさんが嬉々としてあとに続き、物静かにじっと物事を見つめるシンガポールのバニさんまで大笑いして滑っていた。雨で深く光るかれいざわの森に鮮やかに映えるオレンジ色は、インドネシアのインドラさんのレインコート。

◎2011年8月19日(金)・20日(土) 八戸 

入り口に貼ってあるシンポジウムのポスターをわいわい眺めながら八戸ポータルミュージアム「はっち」に入る。八戸を元気にしたいという思いがそこかしこに溢れる「はっち」は、訪れる人も元気にする。大騒ぎして選んだ「うわさバッジ」をそれぞれ身につけ、一同は熱心に風張館長のお話を聞き、写真を撮り、こどもはっちで大きな子どもと化す。タイのノイさんがいつまでもからくりで遊んでいるので、「あとで自由時間あるよ!」と必死に呼びかける。
八戸シンポジウムで彼らの自国での活動をじっくり聞く。思わずため息をついてしまう見事なプレゼンテーションと、パネルコーディネーターの吉川さんのリードのもとに進められるディスカッションには圧倒されるばかり。人に何かを伝えるためには、情熱だけでは必ずしも充分ではないことを痛感。語られた内容もさることながら、「いかに」語られているか、ぜひUstreamをご覧ください。
 
「裂き織り体験をしてきた!」とシンポジウムの打ち上げでピコさんが教えてくれた。「裂き織りの先生は日本語で私は英語だったけど、とても優しくて何を言ってるか分かったの」と言う。ただ、完成品を取りにおいでと言われたけれど、すでにお店は閉まっている時間。肩を落とす彼女だったが、先生は「はっち」の今川さんに完成品を託してくださっていた。大喜びで紙袋を受け取った彼女に、良かったねえと言っていると、その大きな目にどんどん涙が溜まる。なんて優しい人!と言って涙を流すピコさんの笑顔に、このツアーに参加できて良かったと、心の底から思う。

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翌朝7時。横丁の名残を若干抱えながら、ピコさん、香港のファンさん、国際交流基金の菅野さん、根本さん、私の5人はタクシーで朝市へ向かう。目の前に並ぶ新鮮な魚に、朝から大騒ぎ。おばちゃんに食べ方を教わったりしながらあれこれ買って、贅沢すぎる朝食を取りつつ、各国の食文化へ話が進む。盛り上がりすぎて、待機してくれていたタクシーの運転手さんから「どちらにいらっしゃるのでしょうか...」という電話が入っていた。

◎2011年8月21日(日) 東京

東京シンポジウムで彼らが話したこと、それは八戸同様、ここで要約してしまうより、彼らの口調、表情、身振りと併せてぜひ直接見ていただきたい。一つ言えるのは、彼らとご来場いただいた皆さんが語り合うには、時間はいくらあっても足りないということ。一人一人の声を聞きながら、彼らが来てくれたこと、日本を見つめてくれたことに、どうしようもなく感謝の思いが込み上げて仕方ない。彼らと一緒に東北をまわることで、私自身もまた、AAFについて、震災について見つめ直すことができたのだから。

この震災を経て、日本に生きる私たちの価値観が変わり、たとえ今後どんなに日本が良い国になっていこうとも、やっぱりこの震災は起こってほしくなかったし、その悔しさは消えないけれど、それでもどうしても起こらなければならなかったのなら、なんとかそれを見つめていくしかないんだと、遅ればせながら覚悟に似た思いが生まれた一週間だった。

もし私が全く違うところにいて、AAFのネットワークを身近に感じるところにいられなかったら、きっと耐えられなかったと思う。
ここにいられることの意味を、噛みしめる。


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<執筆者プロフィール>
松木まどか
1983年宮城県仙台市生まれ。
東京芸術大学音楽研究科音楽文化学専攻芸術環境創造分野修了。
大学院修了まぎわ、進む道を考えあぐねていた頃、アサヒビール芸術文化財団勤務のお話をいただく。
2年目の現在、事務業務を進めつつAAFにも徐々に進出中。




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※日程についてはこちらの記事を参照ください。

※シンポジウムの様子