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メッセージ 2011.08.01

#01 芹沢 高志(アサヒ・アート・フェスティバル事務局長)

アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)とは、アートによって地域を再生しようとする、多様なプロジェクトの集合体だ。しかし最初からこのようなかたちが明確に構想されたわけではなく、ある意味、「成るように成って」ここまで来たとも言えるだろう。
私見だが、AAFの歴史にはふたつの大きな転換点がある。ひとつは開始後すぐ、1年目で、総合ディレクター制を廃止したことだ。AAFは文字通り水平的な組織に生まれ変わり、参加者の自主性が最大限尊重される場になった。もうひとつはAAF2005から公募制が導入されたこと。これによってAAFは、社会に対して大きく開かれた。私はこの10年間でAAFが獲得した水平的相互関係性と開放性が、AAFを今のような、きわめてユニークな存在へと育んでいったのではないかと考えている。
その姿がなに似ているかといえば、ひとつの多細胞生物、あるいは多様な生物が相互に依存して共生進化する生態系ではないだろうか?どちらのメタファーの方がより適切か、私にはまだわからない。しかしいずれにしろ、AAFはきわめて生命的なシステムの特性を現しはじめており、機械的なシステムのそれではない。生命的システムは周囲の環境とエネルギーや物質や情報を絶えず交換し、状況の変化に対応して自らの内部関係を組み替えて自身を変え続け、同時に周囲に働きかけて環境を変え続ける。この10年、われわれを取り巻く環境は、例えば急激に進行するグローバル経済の荒波や地域の疲弊、そして今回の東日本大震災と、大きく変わり続けてきたが、その度、AAFはきわめてしなやかに、またしたたかに自らを変え、周囲に変革を求めて働きかけてきたのである。
もう一点指摘すれば、AAFには「全知全能」のディレクターが不在で、いるのは全国各地に点在した無数の地域の、つまりは「土着」のディレクターたちなわけだが、これはきわめて日本的、さらに言えば東アジア的、あるいはアジア的とは考えられないか?  なんだかんだ言っても、現代のアートでは北ヨーロッパ起源の規範が支配的なわけで、その観点からすれば、AAFはわかりにくく「野蛮」であるかもしれない。
しかしそれならなおのこと、これが日本国内に特有な、一過性の流行り病のような動向なのか、世界のなかで問うてみたい気持にもなる。
そろそろAAFは、世界とつながる時期に来ているのではないだろうか?

1951年東京生まれ。1989年、P3 art and environment を設立。現代美術、環境計画を中心に、数多くのプロジェクトを展開。アサヒ・アート・フェスティバル事務局長(2002-)、「デメーテル」総合ディレク ター (2002)、横浜トリエンナーレ2005キュレーター、別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」総合ディレクター、著書に「月面からの眺め」(毎日新聞社)など。