交流プログラム RSS

交流プログラム 2011.07.13

2010交流支援プログラムレポート13 「AAF陰のツーリズム妖怪会議」

AAF参加団体、ネットワーク団体の担当者が交流する「地域間交流支援プログラム」。それぞれの現場やまちの空気にふれながら、たがいの現状をゆっくりと話し合い、アイデアやノウハウの交換を行うことができるようにと始まりました。現在では、新しい視点を獲得することで、あるいは別の視点が持ち込まれるによって、これまでにないプロジェクトが立ち現れようとしています。
AAF2010の交流支援プログラム最後を飾る13番目のレポートは、スタジオ解放区(沖縄県沖縄市)と外浜まつり実行委員会(島根県隠岐郡西ノ島町)による交流企画、報告はスタジオ解放区、林僚児さんです。

====================================================
<レポート>

土地の信仰と地域アートの間に住まう神と人とアヤカシ ~隠岐考~

年の瀬、隠岐島に住むという焼火神社宮司松浦道仁さんに会いに、品川発米子行夜行バスに乗った。見知らぬ人たちと一夜を明かし、帰省ラッシュなのだろうか、どこか朧げで判然としない人の群れは、ねずみ男駅霊番(0番)ホーム発の妖怪列車に乗り、学生服姿の人影やススキ野原を映し出す車窓の向こう側、故郷へと消えてゆく。鬼太郎駅につくと、だれかに見られているような気がしてならなかった。ロータリーの街灯もタクシーの行灯にも目玉のおやじが幅を利かしているからだ。
いそいで隠岐汽船に乗り込んでみても、船にも港にも目玉がはりついている。隠岐丸(今はなき初代蒸気船の名)とともに荒ぶる日本海を渡ると隠岐島前西ノ島別府港で松浦道仁さんは迎えてくれた。黄昏時ではないが、柳田國男のいう「誰ぞ彼」時を脱したのだろう、知っている人に会いほっとした。しかし、此方こそ彼らにとって他所者で「誰ぞ彼」であったに違いない。
その後、松浦さんの車に乗って焼火神社に向かいどんどん山道を登っていく、登っても登っても辿り着かない、車が止まり着いたのかと思いきや、またそこから歩くのだという。焼火山。のちに調べると、古くは先住者によって神奈備山として信仰されていた。カムナビとは、「この世」と「あの世」の境界や、人が踏み込んではならない結界という意味の言葉で、神が「隠れ住まう」山のことだ。森の中に入ったせいかなんだか暗くなってきた気がする。まだ日は高いはずだ。それにしても松浦さんこんなに背大きかったっけ?  そういえばこの辺は人より狸の方か多いという。でもあれは隣の知夫里島の話だ。鳥居をくぐり、杉の巨木がそびえ、岩にめり込んだ不思議な社につくと、松浦さん「スコーン」と柏手を打つ。いままで聞いたことのないいい音が社から岩を伝わり木霊する。柏手は悪霊を払ったり、これから結界に入ることのあらたまりも意味する。見よう見まねでやってみると「カスッ」。残響していたいい音とはほど遠い。疑っていたわけではないが松浦さんはやっぱり宮司さんだった。

焼火山1.jpg

あくる日、松浦さんの紹介で、シーサイドホテル鶴丸のご主人が同級生や漁師の笠置さんに声をかけ交流座談会をもった。「そりゃやっぱ、こっちで育った木でつくるゆうのが、たてもんとしてはな、」「地の材つかってなんて、そりゃ、美田小学校くらいなもんだで」「美田小学校だけはなあ残したい価値はあるよ」と皆が口々に語る美田小学校。平成22年度をもって廃校になるという築85年になる校舎「自慢の廊下」で今、大正8年から現代までの卒業写真を一堂に「ああ、懐かしの美田小写真展」を開催していた。松浦さんはおもむろにポケットからカギを取り出し冬休み中の美田小の玄関を開けた。よほど地域の信頼があるのだろう。玄関入ってすぐ「私たちの学校と町のあゆみ」と題した手描きの長い歴史年表が目に飛び込み、その始めに青年の肖像写真はあった。「隠岐航路を開いた松浦斌(さかる)」とある。松浦道仁さんの四代前だ。そこには人と土地が紡ぎだす壮絶なドラマが潜んでいるのだが、その話はあらためて別記することにしよう。

座談会1.jpg 小学校教室1.jpg

「今日できたて」という「隠岐国Network Journal No.20」をいただく。松浦さんが20年来、出郷者向けに発行しているものだ。「この土地に一番思い入れしてくれるのは誰かっていうと、出郷者なんだろうと狙い」コンセプトにしている。しかしそれだけではダメだと言う。「学校出身のひとが集まって何かだけだと、刺激が少ない。外部からちゃんと入れないと」「アーティストがその人たちと接触してどんどん引き込んでいって?」「それ狙っている」。そして、アーティストには「たのむから、同化してくれるな」とお願いするそうだ。そこに松浦さんの「地域とアートの関係性」に対する考え型がある。コミュニティは内と外をつくり、時として内輪になりがちで、普段は域外のものを透明にして見えないフリをするが、絶えず外と交流することで内を保っている。「たのむから、同化してくれるな」とは、内に取り込まれてしまわず、透明でもなく、たまには、荒ぶってもいいし、もたらしてもいいから、まれびとのまま異能をいかんなく発揮してほしい。そんなふうにも聞こえる。
吹雪の中、牛と馬が自由に放たれた国賀海岸へ連れていってくれた。天然の地形が織りなす日本とは思えないこの絶景に、かつて、全国からオートバイを集め「隠岐アイランドトライアル」を開催し、神社の神職でありつつ地域活性化のために奔走する若き日の松浦さんがいた。そして今は、アサヒアートフェスティバルで全国とネットワークを結び、美田小学校のあらたな活用を考える「隠岐アートトライアル」に挑戦しようとしている。昔も今も変わらず「伝統的なまつり」と「あらたなまつり」をつなぐカギをもつひとなのだ。山の神、航海の守り神はときとして人の間に降り交じり土地の伝統を守りながらあらたな価値を切り開く架橋(カケハシ)ならぬ、妖(アヤカシ)となって隠岐の地を化かしてきたのかもしれない。
「昨日、雷なったでしょ。冬の雷ってのは、時化が長く続くっていう。冬の雷はこわいっていうのは、ぼくらんとこではいう。」との漁師さんの言葉で、滞在を一日繰り上げ時化始めた日本海をあとにした。



------------------------
<開催概要データ>

[企画名]「AAF陰のツーリズム妖怪会議」
[実施日]12月28日(火)~12月29日(水)
[招聘者]松浦道仁(外浜まつり実行委員会)
[訪問者]林僚児、菅谷聡(スタジオ解放区)
[開催中のイベント]「ああ、懐かしの美田小写真展」
[報告者]林僚児

------------------------
<タイムテーブル>

◎12月28日(火)
隠岐島前西ノ島別府港に隠岐汽船にて到着
14:00 船着き場の喫茶で「神事、異能、成人式」について対話。
14:30 焼火山登り
15:30〜17:00 焼火神社、社務所のこたつで「神楽とミュージシャン・地域コミュニティとまつり」について対話
18:00 別府港に後着の菅谷聡を迎え
21:00〜23:00 シーサイドホテル鶴丸で「ローカルな神、隠岐、民俗学」について3名で座談
◎12月29日(水)
朝:シーサイドホテル鶴丸で「ふるさと今昔」について座談会
(参加者:鶴丸のご主人、漁師の笠置さん、同級生2名、松浦道仁、菅谷聡、林僚児)
午前:「ああ、懐かしの美田小写真展」見学(会場:美田小学校「自慢の廊下」)
昼:国賀海岸、摩天崖フィールドツアー(今から20年以上前に松浦さんが中心となり、10年にわたり開催した「隠岐アイランドトライアル」のコース)
午後:自由行動
◎12月30日(金)
朝:海が時化る
午前:隠岐島前西ノ島別府港から隠岐汽船にて出港

------------------------
<執筆者プロフィール>


プロフィール写真1.jpg
林僚児/スタジオ解放区

2005年より、不断になりゆく地下茎ユニットスタジオ解放区をしている。沖縄コザ十字路銀天街に漂流レジデンスあり。戦後、各地からの寄留民がつくりあげ、40カ国以上もの人々が暮らす多国籍な基地の街で、この世を去っていく十字路創世代やこの地に生まれ落ちるコザチルドレンに触発され、街とコラボするアート、地域をさり気なく巻き込む手作りな仕組みと関係性で、誰もが表現者になりうる「老若男女の美術庭」を実践している。
人々の中に息づくそれぞれのルーツ土着文化がクロッシングする街で、土着と辺境の地域アートを考える。そのようなコザクロッシングの精神性のもと、同じと違いのルーツをもつ地下茎地域にリンクを貼り、地域と時代を飛び越え、張り巡らされた地下茎メンバーとともにプロジェクトを生み出している。とくに、無意識の闇に落ち忘れられていく土地の記憶に遭遇すると土地と人の身体を再リンクするアートで、人と土地の物語を取り戻し、地域の架け橋となっていくスタンスをもっている。一方で、2008年より、沖縄市タウンマネージャーとして、アーケード撤去やリニューアル事業、国道拡幅に伴う残地問題や地域のまつりなど、地域文化や経済の視点から街づくりをサポートし、コザ銀天街大学やえほん館など、アートと地域商店街の多世代交流ができる寺子屋商店街を生み出している。