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レポート 2011.01.12

2010交流支援プログラムレポート12 「そうだ! 行こう! 瀬戸内の島」

AAF参加団体、ネットワーク団体の担当者が交流する「地域間交流支援プログラム」。それぞれの現場やまちの空気にふれながら、たがいの現状をゆっくりと話し合い、アイデアやノウハウの交換を行うことができるようにと始まりました。現在では、新しい視点を獲得することで、あるいは別の視点が持ち込まれるによって、これまでにないプロジェクトが立ち現れようとしています。
AAF2010の交流支援プログラム12番目のレポートは、空間実験室(青森県青森市)とNPOハート・アート・おかやま(岡山県岡山市)による交流企画、報告は日沼禎子さん、田野智子さんです。
 
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<レポート>

海の道~つながりの恢復~ 

青森、東京、岡山空港を乗り継ぎ、笠岡諸島をめぐる定期船で白石島をめざす。本州最北端の青森で生まれ育った私にとって、瀬戸内は憧れの地である。穏やかに晴れた空の下、大小の島々が海に浮かぶ美しい風景。しかし、それは、輪郭の無いぼんやりとしたイメージにすぎない。それは何かとても不確かで、いくらすくいあげても、指の間からこぼれおちてしまう。
瀬戸内に面する町、島々は、古来より良好な港として栄え、多くの産業を生みだし、日本の近代化の発展に大きく貢献してきた。それは、風光明媚な穏やかな観光地として発信されるイメージとは別の姿である。現在、高齢・過疎化が急激に進む島の現状が危惧されている昨今であるが日本全体が島であることを考えれば、私たちの国全体の、近い将来の姿を予見させる。とはいえ、私たちの未来を憂いているばかりではいられない。ハート・アート・おかやま(HAO)が近年取り組む「白石島」と「池上秦川邸」でのプロジェクトは、過去、現在をさまざまな角度から眺め、今を生きる人々の記憶や知恵を織り込みながら、共に未来を考える場をつくりだそうとする試みである。そしてこの度、「海の道〜つながりの恢復〜」というテーマのもと、歴史、文化も異なる北国からの来訪者との交流を通し、地理的要因と歴史が、今を生きる人々とどのように繋がっているのかを考えることとした。

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白石、福山港、鞆の浦、真鍋島をチャーター船で行く。人、物、情報が行き交うそれぞれの港の歴史を辿りながら、その時代の人々の暮らしぶりに想像を巡らせる。風光明媚な風景よりも、歴史建造物よりも、滋味溢れる海の幸よりも、私の心を捉えたのは、真鍋水軍の末裔である真鍋禮三氏、60代で「白石島ではまだまだ若手」といわれる天野正氏、そして池上秦川邸に残された「善なるものとしての教育」を伝えようとする、その志の痕跡との出会いであった。研ぎ澄まされた知性と、年齢を重ねた人間しか持ちえない立ち居振る舞い。その身体からその言葉から、残された気配から、泉のように滾々と湧き出でている。時を越えて伝える、繋げる力は、目の前にいる私たちにではなく、今も遠く海の向こうにある新しい何か、これから出会う人々に向けられたものである気がする。それを根底から支える原動力を、私は、「冒険心」とよびたい。島の人々にとって、360度取り囲む海のすべてが道。そこにレールなどはなく、行く先は自ら決めた。島のてっぺんに登り、潮の流れを読み魚影の群れを探し、星を拠り所とし、風をつかまえ船を漕ぎ出した。とりまく世界は、ヴァーチャルな四角い窓の中ではなく、自らの身体とともにあった。その血と肉と魂は、21世紀になった今も、真鍋氏、天野氏をはじめとする島の人たちのもとにある。私たちが所属する社会は、これらの島々を「離島」と呼び、観光地や商業施設として活況を呈することのない場を資産とは見なさず、およそ現代社会の本流から隔たれた、価値のない場だと思っている。そうして人々が長い時間積み上げてきたものをゴミ箱に放り込んで、常に最新データに更新される大容量ハードディスクに記憶の行方を委ねようとしている。
文化往来の歴史を礎に生きるこの島の人々は、そうした不確かな暗闇の中に、小さいけれど確かな光を灯している。HAOの活動は、人々の思い、記憶に寄り添いながら、その光をともに掲げようとしている。今持っている地図をひっくり返し、海の道を思い描いてみよう。そしてAAFを含むあらゆるネットワークやコミュニケーションを、冒険心ととらえてみよう。風を背に海から訪れる者との、あるいは自らが辿りつく者としての交歓。はじめて辿りついた地に初めての一歩をそっと踏み出す時。きっとワクワクと胸が躍り始める。
(以上:日沼禎子)

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年末の慌ただしい時期に本州の喧騒を避けるようにして開催した「白石島の文化祭Vol.2」で、青森から日沼夫妻にお越しいただいた。
青森と瀬戸内という、気候も風土も異なる地域。日沼禎子さんは、この距離を繋ぐ文化人として「棟方志功」の名を出した。倉敷にある大原美術館と倉敷国際ホテルには、青森をしのぐ数々の彼の作品がある。大原孫三郎氏が、彼に目をかけ集めたからだ。大原氏が瀬戸内の倉敷で明治後期に興した紡績業は、富山の東岩瀬にも工場があり、当時の綿糸のつくった文明の痕跡を感じる。それは現在の海の道の繋がりのようにも思える。
日沼さんは、十三湖、深浦の円覚寺、安東水軍、鰺ヶ沢の久慈良餅と、寺社について、祭りや食文化の比較についてなど多くのキーワードから、海の繋がりを見つめてからの島入りだった。
瀬戸内の水軍の航路、鞆ノ浦、真鍋島をめぐり、海鮮料理を食べ、真鍋禮三さんと話した。白石島の御影石に登り、四国と本州を一度に見、総社の秦川邸に移動した。
昔ならば、北前船と高瀬舟で行けた場所を、フェリーと車で移動する。日沼智之さんと改築中の秦川邸。改装中に出会った、池上秦川と家族をめぐる話に花が咲いた。
帰途の飛行機の時間を気にしつつ、秦川邸のすぐ裏にある、隠岐の西ノ島にある焼火神社の分社に行く。京都から参加の岡田毅志さんが、昨年見つけた分社だ。ここに海の神様がいる。

本当に大事な時間を考えた3日間でした。今回の企画間交流には次のような布石があります。
『あふれるほどの情報に囲まれて生きている私たちは、その状況に慣れることと引き換えに、感じる時間や自分自身の感覚に基づいて考えることを失いつつあるのではないか。昨年、総社の秦川邸でのトークで、池上さん一家が「White hole in time」(ピーター・ラッセル著)を持って、ともすると薄れている人と人との関係性や、自分の五感を通して感じる「生きている」という時間の尊さを空間を使わせていただいている我々と共同で探っていこうと、家族の歴史を遡って語った。一方で、笠岡諸島の真鍋島に住む、真鍋禮三さんは「私と瀬戸内海」と題して地理、歴史、文化、観光などの面から原稿を書き始めている。座右の銘は「日々是好日」。』
2011年の活動の展望と、AAFのネットワークこそが私たちの財産になってきていることを再考するにふさわしい時間でした。
(以上:田野智子)

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<開催概要データ>
[企画名]「そうだ! 行こう! 瀬戸内の島」
[実施日]12月25日(土)~12月27日(月)
[招聘者]NPO法人ハート・アート・おかやま(田野智子)
[訪問者]空間実験室実行委員会(日沼禎子)
[開催中のイベント]『白石島文化祭2』12月24日(金)~26日(日)
[報告者]日沼禎子、田野智子

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<タイムテーブル>
◎12月25日(土)
・白石島到着
◎12月26日(日)
9:40-15:00「万葉・水軍ツアー」に参加
(白石島文化祭2企画)
・チャーター船で、白石島(岡山県)から約20Km、鞆の浦(広島県)へクルージング
・白石島公民館長の天野さん案内で、鞆の浦散策・鞆の浦から真鍋島(岡山県)へクルージング
・真鍋島散策
・真鍋水軍の御子孫にあたる真鍋禮三さん宅を訪ねる
・真鍋島から白石島へクルージング
15:30-17:00トーク「海の道~つながりの恢復~」
・1部「北前船がつなぐもの」(プレゼン:日沼禎子)
・2部 参加者全員によるフリートーク
◎12月27日(月)
・白石島散策、トレッキング、国際交流ビラ見学
・白石島出発・総社市の池上秦川邸へ向かう

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<執筆者プロフィール>

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日沼禎子
青森公立大学国際芸術センター青森学芸員。女子美術大学芸術学部卒業後、ギャラリー運営企画会社勤務、美術雑誌「アトリエ」編集者等を経て、2001年より現職。04 年アートサポート組織「ARTizan」設立に携わり現在プログラムディレクター、05年から主催事業である「空間実験室」実行委員会実行委員長を兼任(~09年まで)。



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田野智子(NPOハート・アート・おかやま代表理事)
小学校教諭を経て、岡山県内の障がい者施設や高齢者施設、就学前の子どもと親のクラブなどで、創作活動を企画し展開している。2004年より、アートリンク・プロジェクト、国際交流事業、瀬戸内笠岡諸島で高齢者との表現を通じた「カルチャーリンク」、学校にアーティストを派遣したり芸術教育の現状調査を行うなど、表現・食・文化という日常をテーマにし、年齢や分野を超えた人々の密接な交流から生まれる新しい価値を地域ごとの特色ある伝承文化との比較を視野に入れ展開している。