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レポート 2010.12.20

2010交流支援プログラムレポート11 「沖縄コザの記憶から横浜若葉町を想う」

AAF参加団体、ネットワーク団体の担当者が交流する「地域間交流支援プログラム」。それぞれの現場やまちの空気にふれながら、たがいの現状をゆっくりと話し合い、アイデアやノウハウの交換を行うことができるようにと始まりました。しかし現在では、新しい視点を獲得することで、あるいは別の視点が持ち込まれるによって、これまでにないプロジェクトが立ち現れようとしています。
AAF2010の交流支援プログラム11番目のレポートは、スタジオ解放区(沖縄県沖縄市)とアートラボ・オーバ(神奈川県横浜市中区)による交流企画、報告は蔭山ヅルさん(アートラボ・オーバ)です。
 
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<レポート>

「横浜も、終戦後の1945年〜1952年まで、進駐軍にその中心部のほとんどが接収されていたのです。」という事前の説明に、コザの人たちの表情が動くのがわかる。
ほとんどの人たちが、「知らなかった」という。

銀天街のお惣菜屋さんは、まだ会ったばかりのオーバが、ビデオカメラを向けても嫌がらず、笑顔で答えてくれた。
1949年(昭和24年)生まれで、高校卒業と同時に沖縄県南部からコザにやってきた。
「当時は、兵士からガムやチョコレートをもらって、まだ、物のない時代だったから助かったよ」。
1958年(昭和33年)生まれのお花屋さんも、「こどものころは、よく、ギブミー、マネー!っていって、お金をもらったよ。」という。
いずれも1960年代後半の話だ。

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沖縄は、1972年まで、米軍統治下にあった。

当初考えていた「20年のタイムラグ」は本当に存在し、まるで、20年前の横浜に戻ったかのような生々しい証言の数々を聞くことができた。

スタジオ解放区の紹介で、ビデオインタビューできた人たちのほかにも、大衆食堂で、銭湯で、出会った人たちに、それとなく昔話を聞いて歩いた。
そこには、横浜の記憶を超え、沖縄でしかありえない話もたくさんあった。

「沖縄戦のときには、お母さんと兄弟姉妹たちとで、近隣の山にこもって2〜3ヶ月すごした。時々里に下りてきて、畑から芋を盗んで食べた」。
「跡継ぎだったおじいさんを戦争にとられるのが嫌で、ブラジルに移民した」。
「1968年に、神奈川の大学に入学したときには、パスポートが必要だった」。

スタジオ解放区で、いつもボランティアとしていっしょに活動をしている人(1958年生まれ)の証言も衝撃的だった。
「うちのおじいさんは、沖縄戦のとき、兵士と間違えられて、米軍に射殺されたと聞いています」。
「父は米軍を嫌っていましたが、基地で働いていました」。

後で、スタジオ解放区のスタッフに聞くと、いつも近くにいる人たちのそんな話を聞いたのははじめてだったという。
たしかに、改めて親しい人のおじいさんやお父さんの話を聞く機会はないし、また聞きづらい。

そういう意味では、オーバというよそ者が、ある意図をもって収集しているからこそ、引き出せた情報だといえる。

一方、オーバにとっても、突然訪れた地で、はじめて出会ったばかりのふつうの人たちが、ビデオカメラの前で証言してくれるはずもなく、スタジオ解放区との協働なしではありえない企画だった。

アサヒ・アート・フェスティバルというゆるいネットワークを媒介に、何年もかけて、スタジオ解放区が築いてきた信頼関係と、オーバの持ち込んだプロジェクトが融合した結果、力が抜けて無理のない、しかし、貴重なフィールドワークをすることができた。
そして、そこで得た情報は、スタジオ解放区とオーバが共有することにより、コザと若葉町、それぞれがそれぞれの活動に活かすことができる。

横浜に帰る前日の夜に、このプロジェクトの成果発表と改めていろいろな話をするために、交流会を開催させてもらった。
その準備のために、「横浜から来ました。米軍統治下の話を聞かせてください。」というポスターを貼ると、私たちに話しかけてくれた人たちもいた。

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大きな手ごたえと、成果を得た1週間であると同時に、プロジェクトはやっと始まったばかりであるとも感じている。

1947年(昭和22年)生まれの元八百屋さんは、自分が大学生だった60年代、マルコムXのブラックパンサーによる公民権運動が盛んだったことを話してくれた。
1958年(昭和33年)生まれの小劇場のスタッフの女性は、「1972年ころ、中学生のときに友だちといっしょに観た赤テントや黒テントの芝居が、今のわたしにつながっている」と語った。

バス停を降りると目の前は空き地。商店街はシャッターだらけ。
人もまばらなコザの街だが、一歩踏み込むと、人々の中に、膨大な情報が圧縮されている。
一見すると、コインパーキングとマンションしかない若葉町と、コザは、やはりどこかつながっている気がする。

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◎沖縄コザのインタビュー集@YouTube

胡屋の元八百屋さん→当時の大学生から見たコザ暴動や公民権運動の話など

コザ銀天街のボランティアさん1→おじいさんが射殺された話や黒人や白人の話

コザ銀天街のボランティアさん2→学校ぐるみで行われた沖縄返還運動の話

銀天街のお惣菜屋さん→商売人から見たコザの変移

銭湯の女将さん→石垣島からコザに来た女性の半生



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<開催概要データ>
[企画名]「沖縄コザの記憶から横浜若葉町を想う」
〜戦争、進駐軍による接収やそれにともなう歓楽街の盛衰など、若葉町とコザの共通の歴史について、スタジオ解放区のスタッフと共に町に出て住民の話を聞くフィールドワーク〜
[実施日] 2010年11月25日(木)〜12月1日(水)
[招聘者]スタジオ解放区【沖縄県沖縄市】
[訪問者]ART LAB OVA アートラボ・オーバ(スズキクリ+蔭山ヅル)【神奈川県横浜市中区】

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<タイムテーブル>
◎11月25日(木)夜コザ着 スタジオ解放区によるコザ案内
◎11月26日(金)〜12月1日(水)フィールドワーク
◎11月30日(火)19:00〜0:00 成果報告展+交流会
・会場 銀天街の街の駅「ターブックワー」

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<執筆者プロフィール>
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蔭山ヅル(ART LAB OVA/アーティスト)
1996年アーティスト・ランの非営利団体ART LAB OVAを設立し、アートプロジェクトを継続している。