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レポート 2010.10.13

2010交流支援プログラムレポート09 「基地の街で秘密基地をつくる ~わらばーたー屋台あしび~」

AAF参加団体、ネットワーク団体の担当者が交流する「地域間交流支援プログラム」。それぞれの現場やまちの空気にふれながら、たがいの現状をゆっくりと話し合い、アイデアやノウハウの交換を行っています。
AAF2010の交流支援プログラム9番目のレポートは、スタジオ解放区(沖縄県沖縄市)とアート屋台プロジェクト実行委員会(宮城県柴田郡大河原町)による交流企画、報告は海子揮一さん(アート屋台プロジェクト実行委員会)です。
 
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<レポート>

コザ滞在レポート・わらばーたーと一緒に基地作り

沖縄の旧盆は月に導かれて暦が進む。

満月がコザの街にのぼり、エイサーの鼓動が通りに響けば、人々は生者も死者もなく混然として交歓の喜びに酔う。この街に着いたばかりの私の目に、あの世とこの世と結びつけるチョンダラー(道化)が地域に取り組むアーティストの姿と重なった。

銀天街のカラフルなテントの下でも、買い物客でにぎわう惣菜店の軒先は1年で一番の活気と笑顔に溢れていた。その光と闇の間を子ども達は賑やかに駆け回り、コザクロッシングの「作品」もその一部として息づいていた。
街を一巡すれば、スタジオ解放区と地域の人々との結びつきは一目瞭然であった。街の恩人との死別やアーケードの解体を経て、新しい命の誕生と街の再生を「冥器」という形で応えようとしていた。多くのアーティスト達が生む関わりは儚く見えても、実は絶えず人、物、人生、物語も往来する「コザ十字路=Coza Crossing」という土地の本性を浮き彫りにしていた。

私も基地づくりという形でこの街と子ども達に向き合うことになった。
話は昨年の小山田徹(美術家)氏との企画から派生していたが、単なる模倣では通用しなかった。結局白紙のまま訪れ、現地でプランを考え、材料を探していくことにした。出来上がった基地の姿に、コザの「今」を投影したいと考えたのだ。

滞在の前半、私は体力の限り歩きまわった。
特に隣接する大きな米軍基地はこの街の成立とも深く結びついていた。異文化がストロボのように断絶して連なる風景。それは無口で退屈なものであった。「基地」とは人を隔てるフェンスに他ならず、近世の城壁と混在する土地の姿は、それが人間の性であることを物語っていた。
ならば、我らもこの手で「基地」を切り取らねばならない。

私は場所を「ゆらてぃく広場」を選んだ。映画館の跡地にできた唯一の公共空間で、立派な人工の城壁と滝がありながら、その水は涸れ、池は緑色に澱んでいた。

1日目は池の清掃で終わった。
焼けるような日差しの中、水は泥や藻で臭気を放ち、素足で入るのをためらうような汚れ具合だ。私たちは詰まった排水管を開通させ、ブラシで汚れをこすり、捨てられていた竹を切り、立派な材料に再生した。子ども達は熱心に働いてくれたが、やがて水を掛け合う、はしゃぐ、しまいには野球まで始め、広場は嬌声に包まれた。水と子供の組み合わせは無敵である。
私は難破しかかった船のキャプテンであった。船乗り達の反乱を鎮圧し、共に荒海を乗り越え、この地に我らの基地を築かねばならぬ。そこでひとりの聡明な船員に基地の設計を任せた。彼が白チョークで広場に原寸大で描いたのは畳2枚程のコンパクトな基地である。他の船員も刺激されて色々アイディアを練ってくれた。こうして奇麗になった池を海に見立て、浮き島のような基地のプランができた。

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2日目、きれいになった池は絶好のプールになり、子ども達の興奮はさらに高った。石をぶつけられ泣き出す子も出て、我々はカオスの海で座礁しかかっていた。私は、ついに大きなカミナリを落とした。荒れるR君をおもいっきり叱り、彼は空き缶を叩きつけて去っていった。本気でなければ子どもには伝わらない。これも去年の青森で学んだことのひとつのはずだ。私は空を見上げた。
やがて彼は広場に戻ってきた。注意されながらも城壁を登ろうとし、この場所が彼の庭であることを私たちに示そうとしていた。私達はつい「責任」という綱で子どもたちを縛ってしまう。だが彼らにも彼らのルールがあることを教えてくれた。

夕刻、いよいよ建設は佳境へ。骨格が立ち上がり、その結びの技術を子どもたちに伝えた。大人の全力疾走に刺激されて、彼らも辛抱強く手伝ってくれた。ついには子どもの手で池の上に据えられ、基地は完成した。乗り込んだ船員達はささやかな祝宴を開いた。彼らは「俺たちの基地だ」と言った。私へのご馳走はそれで十分であった。

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全てが終わった夜、林さん一家と沖縄最後の銭湯「中乃湯」に出かけた。
銭湯は旅人にとっては街と交われる「窓」であろう。スタジオ解放区も大きな「窓」のひとつだ。林さん達はアーティストの枠を超え、その界面をつなぐ負荷の高い役割を担っている。その未来はまだ手探りで見えないが、本当の成果は彼らの次の世代に表れることだろう。

最終日、旅立つ私を見送りに、子ども達も来てくれていた。R君も「今朝もそこで遊んだ」という。愚かな私はここで「彼らに遊んでもらったのだ」と初めて気づかされたのだった。彼らの明るい笑顔に見送られて、バスは出発した。5日間の汗と記憶を街に残して。
私はワークショップを通して、押し着せられた場であっても、様々な方法で獲得し、未来を描くことの価値を伝えたかった。そこには大人も子どもも区別はないはずだ。 

子供は未来の大人、大人はかつての子供である。
そう、私達は常に未来と共にあるのだから。


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<開催概要データ>
[企画名]基地の街で秘密基地をつくる ~わらばーたー屋台あしび~
[実施日] 2010年8月25日(水)~26日(木)
[招聘者]スタジオ解放区
[訪問者]アート屋台プロジェクト実行委員会(海子揮一)


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<タイムテーブル>
◎8月23日(月)
仙台発→那覇空港着、銀天街および「コザクロッシング2010」展示視察
◎8月24日(火)
沖縄市周辺視察(嘉手納市、北谷町、普天間市)
◎8月25日(水)
13:00~18:00:ワークショップ「基地の街で秘密基地を作ろう」前編
広場の池を子どもたちと清掃、原寸大の図面を路上に書いてプラン作り
会場:ゆらてぃく広場(沖縄市銀天街内)
20:00~22:00:交流座談会
アート屋台プロジェクトの活動と、海子の設計活動の関わりを紹介
会場:町の駅たーぶっくゎー(沖縄市コザ十字路・銀天街)

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◎8月26日(木)
10:00~12:00:家に伝わる「手当て法」交換プロジェクト見学
13:00~18:00:ワークショップ「基地の街で秘密基地を作ろう」後編
子どもたちと作ったプランを廃材を使って一緒に製作。完成お茶会。
会場:ゆらてぃく広場(沖縄市銀天街内)
◎8月27日(金)
沖縄市発→仙台空港着


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<執筆者プロフィール>
海子揮一
海建築事務所/アート屋台プロジェクト実行委員会代表。
大陸放浪後、設計活動を開始。業務の傍ら地元ホールとの協働やハコモノ行政へ反発する住民団体との関わりをきっかけに、人と建築と地域の界面の開拓とデザインをテーマに活動を続けている。