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コラム 2009.10.07

ART LAB OVA 「横浜下町パラダイスまつり」に至るまで。(2)



砂山典子「むせかえる世界」

蔭山:2005年にアート・ジャグラーをフランスから呼んだことで、横浜の日仏学院の学院長、フランス人で、フィリップ・ラルーというアーティストなんですが、彼と友達になったんです。今回「横浜下町パラダイスまつり」の参加作家のひとりにも入っているけれど、彼はもともとダムタイプの砂山典子と知り合いで彼女の赤いドレスの作品「むせかえる世界」のヨーロッパ巡回をサポートした人でした。それで2006年の正月に、その作品が広島の現代美術館から移動しなければならないと聞いて、20メートル、1トンあるものだけれど、これをどうしようと。
スズキ:その話を聞いて、捨てたりされるんだったらぜひ見たいよね、という話になって、それでなんとか横浜に持って来れないか、とプロジェクトを考えついたんです。
蔭山:ちょうど、横浜トリエンナーレ2005の直後で、現代美術で市民ボランティアが盛り上がっていたから、横浜出身作家の作品を市民の手で移送しよう、というプロジェクトは、トリエンナーレ後の横浜にとってもうってつけのプロジェクトになるんじゃないかと考えました。それですぐに「むせかえる世界基金」を作って、その事務局を私たちがアートプロジェクトとしてはじめる提案をしました。でも実際に団体を立ち上げたものの、展示会場がなかなか見つからなくて。ところが、突然、横浜美術館で1か月後に展覧会ができるとなった。もちろん横浜美術館に空いている展示室があるわけもなくて、美術館開館以来18年、一度も作品展示をしたことがなかった「グランド・ギャラリー」と呼ばれるホワイエに展示することになったんです。
ただその巨大なドレスには砂山典子が座って完成するものだから、それまではどこでも1日しか展示してないんです。1日で9時間が限度なんですよ。それを9日間展示しなければならないから、ボランティアを募集して、セクシャリティとか、いろんなことを含んだ作品だとアナウンスしたら、全国から17人集まりました。それがもう、いろんな人がいて(笑)。
スズキ:すごかった、すごかった。
蔭山:移送のための基金も展示終了時には、ちょうど目標額に達していました。あのときに、砂山典子というアーティストに出会い、美術館も巻き込み、いろんな人たちといっしょにプロジェクトをやったことで、私たちはいろんなやり方で変幻自在にできるという、まあ、自信みたいなものかなあ、手応えがありました。

むせかえる世界コピー.jpg











ⓒNorico Sunayama
むせかえる世界基金プロジェクト|2006|横浜美術館



「近江八幡お茶の間ランド

蔭山:去年、近江八幡のボーダレス・アートミュージアムNO-MAで展覧会(『「近江八幡お茶の間ランド」にちょっと寄ってくれはらへん? 〜ふつうの町のキュートな日常〜』展を企画したんですけれど、あれも大きかったですね。
オーバは、他人の、しかもアーティストではない人たちの作品の展示をする機会が多かったこともあって、いわゆるただ作品を設置するだけの「展覧会」という形式で企画することに興味がもてないんです。だけど、ここでは展覧会なんだけど流動的なかなり実験的なおもしろいことができた。
このとき実感したのは、アーティストやしょうがい者やこどもでなくても、どんな町にも、おもしろい人たちってたくさんいるんですよね。雑誌なんかでは絶対みかけないような、はみ出しているようなレイアウト感とか、趣味が良いんだか悪いんだかよくわからない、そういう、それぞれの家でひっそりと眠っているものを見てみたかった。
---- どういう経緯だったんですか?
スズキ:NO‐MAがディレクターの公募をしてたんです。それに応募して通ったという形なんですけど、われわれがやるといっても最終形が決まっていたわけではないので、採用した側も不安だったと思う。
蔭山:元々これを展示するということだったら、企画書も書きやすい。でも私たちがやることは、ほとんどそういうのがないから、NO-MAみたいな大規模なものをできのたのはかなりラッキーだった。でも、あの年以来、ディレクターの公募なくなった(笑)。

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photo:高嶋清俊 TakashimaKiyotoshi
「近江八幡お茶の間ランド」にちょっと寄ってくれはらへん?-ふつうの町のキュートな日常-展」|2008|ボーダレス・アートミュージアムNO-MA


文科省の事業から

蔭山:それから昨年度までの2年間は、文部科学省の「学びあい、支えあい、地域活性化事業」を受託をして活動していました。その事業は小学校の学区ぐらいの大きさの街の中で、地域の人たちが地域の問題に対してなにかをするということで、一地域が上限50万くらいまでというものでした。それが、私たちの活動にぴったりの事業だった。
例えば、ホームレス・アーティストのいちむらみさこと開催したスナック。飲食店で、野毛に集う会社員たちとホームレスが対話をする場を作るといったものでね。それから、パフォーマーの手塚夏子と開催した「赤ちゃん観察会議」とか。
---- それは応募されたんですか?
蔭山:その前に「子どもの居場所作り」という、やはり文科省の事業に参加することになって2年間やっていました。それでその事業の中間支援をしてくれていたNPOから、次は「学びあい、支えあい」があるからやってはどうか、というお話があって。それを機に、一気に「この地区ではこういうことを考える」という形で7~8か所提案して活動してきました。ジャック&ベティでは「この地域で外国人問題を考える」ということで、「フィリピン・プロジェクト」とか「タイ・プロジェクト」をやっていたんです。
---- それが今回AAF参加にしたプロジェクトに繋がっていくんですね。
蔭山:そうです。2年間、フィリピンとかタイを個別に見ていくと、この地域が分断されていることがわかってきた。たから3年度目には、もう少し大きくとらえていきたいと考えたんです。でもこの「学びあい、支えあい」の事業が3年間のプロジェクトだったのに突然2年間に短縮されて、気づいたらお金はなくて、私たちの企画だけが取り残されていた(笑)。
---- それではほかに助成はないんですか?
蔭山:AAFの他は全然ないです。

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photo:農宗靖也 NosoYasunari
ヨコハマ の名画座はタイにある〜ヨコハマ・タイ・ストリートプロジェクト|2008|シネマ・ジャック&ベティ


寿町の学童クラブ

---- 帽子おじさんとのプロジェクトはどんなきっかけですか?
蔭山:帽子おじさんはアウトサイダーアーティストとしてスイスで有名になっていますけど、元々街で見かけていて、興味はあったんだけど知り合うきっかけがなかったんですね。それで、寿町に住んでいるということだったから、寿町にご飯を食べに行くプロジェクトを始めたんです。でもご飯食べに行くくらいじゃなかなか出会わない(笑)。そうしたら、NO-MAの企画が決まったときに、畸人研究学会というところからいきなりメールがあって、帽子おじさんの住む横浜からもこういう人たちが出てきたということで、ぜひあなたがたにおじさんを紹介したいと。
---- 畸人研究学会に、オーパが認められたということですね?(笑)
蔭山:はじめは「学びあい、支えあい事業」を利用して、寿町で、帽子おじさんによる帽子づくりワークショップをしたかったんです。だから、まずは帽子おじさんと知り合いになる前に、寿町の学童クラブ「ことぶき学童保育」を訪ねて、ここの子どもたち対象に、帽子おじさんのワークショップをさせてください、とお願いしました。その学童クラブには、どうみても中学生なのに金髪で、鼻にピアスをしていたり、中には乳児を抱いている少女がいたりする。もちろん小さな子たちもたくさんいるんだけど、中学生たちも、一見不良なのに、学童に来ている。その学童クラブの責任者は、また、コロボックルみたいな風貌で(笑)。
---- その人が子どもたちが集まりやすい場所、居やすい場所を作ってあげているということですか?
蔭山:うわさに聞くとすごいんですよ。どうやら元教員らしくて、近くの団地に行って深夜まで勉強を見てあげたり。こどもたちにあだ名で呼び捨てにされていて、全然自分のことを話さない。1年、2年たって、だんだん周りからすごい人らしいという情報が入ってきたんですね。運営は厳しいようですが、場所自体は市の外郭団体所有の施設なので、なんとか維持されている。柱には80年代からの子どもたちの背比べの跡とか、たくさんの写真が部屋に飾られていたりして、その蓄積がいい雰囲気なんですよ。
でも、その人が言うには、「20年前、寿にいる男の人は飲んだくれても翌日は仕事に行く強い男だったので、子どもたちもおじさんたちに一目おいていたし、尊敬していた。だから、昔、中学生が野宿者を襲うような殺人事件があったけれど、寿の子だけはそんなことは絶対しない、と断言できた。でも今、寿から子どもはいなくなり、ここに来ている子もほとんどがほかの町から来ている子だし、寿の大人たちは高齢化してしまった」と。そして「子どもたちと老人の出会いに、どんなリスクがあるかわからない」と言うんですよね。ただ単に、「地域の老人と子どもたちが、いっしょに帽子を作る」というのん気な企画に、まさか、そんな現実があるなんて思いもしなかったからショックだった。
スズキ:そういう人に言われるとね。だからそれはあきらめて。
蔭山:ただ、「いつでも遊びに来て」と言ってくれるので、寿町に行くと何をするわけじゃないんだけど、勝手に人を連れて行ったりして、そこの雰囲気だけ楽しませてもらっています。

帽子おじさんと街を歩く

蔭山:今回、横浜下町パラダイスまつりのチラシを作成するにあたって、帽子おじさんに「職業はなんてしますか」と聞いたら、「自称アーティストにしといて」と言うんです。いまでこそ、スイスで展覧会が開催されてしまっていますが、元々はパフォーマーという意識なんですね。私たちが帽子を作るワークショップをしたいと言ったら、「こんなのはただ電気の傘に人形をおけばいいだけだから誰でも作れる。だから教えるものは何もない」って。ただ、「それをかぶって歩くことは誰でもできることじゃないから、それはいっしょにやってもいい」と言われて(笑)。
スズキ:おじさんは、もともとカップ麺の空き容器を頭に乗せたのが始まりだったらしいんですね。それがきっかけで人を喜ばせることに目覚めたようなこと言っていたものだから、うちらは一応弟子ということで、まずそこから始めよう(笑)。
蔭山:1回目、10人くらい集まって、全員カップ麺の容器をかぶって、おじさんだけこんなりっぱなのをかぶってね。「じゃあ元町から行こう」「えっ元町ですか?」みたいな。そうしたら元町に入ったところに牛どん屋さんがあるんですが、おじさんが「俺、ちょっと食ってくる」と言って、いなくなってしまった。カップ麺かぶった10人だけが取り残されてしまってね。ただこの企画をはじめるにあたって、おじさんの影に隠れてパレードしたとしたら、それは話が違うんじゃないか、私たちもなにか背負わなきゃいけない、ということを話し合っていたから、フリータイムということでそれぞれが歩き出して(笑)。だけど元町がまた冷たい街で、徹底して無視される。
中華街だと観光客が多いというのもあるんだけど、みんなバーっと寄ってくるし、様子が180度違う。でも一方で、寿町から近いし、同じ住人の人もいて、「お前らそんなことしたら地獄に落ちるぞ」と怒鳴られたことがありました。どうやら寿町のなかでもおじさんのことをよく思わない人がいて、わざわざ寿町の人間が、この上さらに恥をさらすような行為をするのはなにごとだ、という反応だったようです。それから1回は原宿にも行きました。
スズキ:しかも電車のなかから帽子を被っていく。座席に座っていると「携帯でとっていいですか?」と誰かが聞いてきて、それが合図みたいに周りの人もみんな一斉に撮りはじめる。隣り合わせた若い子とおばさんが写真を見せ合ったりして、すごいいい雰囲気になるんですよ。
---- その日のことがブログで掲載されたりしたんでしょうね。
スズキ:異質なものが入ってくることで、そこにいる人たちの間に一体感がでる。なるほどって感じでしたね。

帽子おじさん.JPG













photo:ART LAB OVA
帽子おじさんと歩く会|2008〜



見えない境界線

---- 原宿ではどうでしたか?
蔭山:私、この歳になって初めてストリートファッションのモデルということで写真に撮られましたよ。そのときはおじさんの帽子をかぶってたんですけど。
スズキ:あの辺は写真を撮る外国人観光客も多いので、そういう人はすぐ声かけてきたね。
---- 表参道ヒルズなどは入れないんだろうな。
蔭山:元同潤会アパートのところでしょ? なんだか街の中に見えない境界線があるんですよ。多分、なにか過去にあったんだと思うんですが、おじさんはいろいろなことにものすごく警戒している。ここから敷地だからと言って境界線のぎりぎりのところに立って絶対に敷地には入らない。あの辺はすごいと思った。
それまではおじさんはただおもしろい被写体というだけの存在だったのかもしれないんだけど、一緒に歩いてみたら、いろいろな境界線をひしひしと感じるんです。たとえば代々木公園の中で、ヤンキー系の人のそばを通るときは、殴られまいとしてものすごく早足になる。
人とちがう、目立つというだけで、暴力をふるわれて怪我したこともあるらしい。おじさんはそんなことまでしてあのスタイルでわざわざ街にでて、老後を生きている。しかも、ウィークデイにはやらない、週末だけやっているんですね。彼は、「人のためにやっている、人を喜ばせたい」という。だけど一方で「それはただのバカとも思われたくないための言い訳なんだ」とも言うんです。
ほかにも横浜スタジアムの前で、ずーっと歌を歌っているおじさんがいます。その人も寿地区周辺の人ですが、かつては港湾労働者で、リタイアしたあとに「人のためになることをしたい」と言って、歌っている。伊勢佐木町でもよく歌っているんだけど、伊勢佐木町で仕事したときに、あるNPOの関係者が「あれが迷惑だ」と言う。音楽のプロジェクトを企画するときには、「あいつを追い出して、有名な全盲のクラシックの歌手を連れてくる」と言ってね。私たちはもう...
スズキ:ここにいるじゃん、いっぱいって。
蔭山:そう、ここにいるのに。
スズキ:何でわざわざ呼んでくるのか、ほんとに分からないんだよな。
蔭山:そのおじさんの話を聞くと、花嫁さんみたいな人が通ると花嫁の歌を歌ってあげるし、熊本から来たって聞くと熊本の歌を歌ってあげるとか、見ていないようでいてよくまわりを見ている。自分では世の中に奉仕していると思っているんですね。みんなは迷惑だと思っていたけれど(笑)。
帽子おじさんも一時期、シンプルな電気傘を見つけて、それをとても気に入って、この傘には絶対人形を置かないぞって、それこそ禁酒禁煙じゃないけど心にすごく強く誓ったんです。見た目はどうみても電気の傘なんですけど(笑)。なぜかというと、「これだったらちょっと民族的な帽子に見えるから百貨店にも入れるだろう」と言うんです。
---- それまではきっとデパートには入れなかったんですね。
蔭山:止められたんでしょうね。もし、若いきれいな人だったら、そんな帽子をかぶっても止めないかもしれない。
たとえば野宿者の話を聞くと、路上の人は命がかかっているから、雨が降ったり寒かったりすると、深夜のマックの100円コーヒーで雨宿りができるかどうかというのがとても重要なんですね。特に女性は現金収入がないし、比較的暖かな場所は全部男性にとられている。だけど何時間かすると、そうした女性だけに店員が声をかけてきて追い出そうとする。ほかにたむろしている不良や若い子がいても何も言わないのに、なんの迷惑もかけてない、一番弱い、貧しいおばあさんには「もう帰ってくれ」と言う。

オーバはなにをしているところなのか

蔭山:帽子おじさんは極端な例かもしれないけれど、いわゆる一般的な社会からズレたところから、いろんなことが見えてくる。そこを変えたいというわけではないけれど、そこに触れてみたい、少しは知ってみたい、おじさんをただ写真に撮っているだけでは見えないことを少しだけでもシェアしたい。
今回の若葉町のプロジェクトも、町には宣伝してほしくない部分がある。表沙汰にしないほうがいいお店とかね。その辺がまだ全然見えなくて無邪気に来ているからはじめられたんだろうけれど、だんだんにわかってくることがあるんですね。
---- 変えたいとは思わないというのは、どういうことなんでしょう。いわゆる社会的な運動とはちがうわけですね。
スズキ:運動には目的があるじゃないですか。
蔭山:ここがよくて、ここが悪いとか、なにも断言できない。これが悪いと思えなければ、これがいいとも思えない。もちろんおじさんが百貨店のトイレくらい使えたら良いなと思うけど、それ自体が運動にはなりえない。
スズキ:目的意識を持つことで失うものもある。そこにはすごく大事なものがあると思っているんです。もちろん、こういう社会であったらいいな、という意識はあるけれど。
蔭山:砂山典子のときも、ある程度目的があってやったことで、あれはひとつの運動だとも言える。でもアートプロジェクトであるということの重要性はそこにはないですよね。砂山典子の作品で使えたのだから、美術館のギャラリーホールを毎年市民のために開放しろ、ということになると全然変わってきてしまう。そうではなくて、その作品があって、どこかに動かしたい、展示したいということから始まっているから、運動みたいな形にはならない。
スズキ:砂山典子の場合も、展示することが決まってから、結果としていろいろなところに派生していくことがあった。そこに常に隙間をあけておくことがすごく重要ではないかなと思っているんです。全然ちがうところに行ってしまうかもしれないけれど、それでいいんだというくらいの感覚をもっていないと、目的に縛られてしまう。それは怖い。
---- オーバとはどんなところか、と言ったらむずかしいですね。わかりやすい説明を求められるということがあると思うんですけれど。
スズキ:それはすごいあるよね。
蔭山:それが活動のほとんど80%(笑)。
スズキ:どう説明したらいいのか、何かをやっていくことでどうやって示せるのかということを、常に考えているのかもしれない。それがひとつのモチベーションになっている気がします。
蔭山:毎回、オーパの説明をくださいと言われるたびにオーパの説明を一から考えてる。
スズキ:それはあるよね。なんかいつもぴったりこない。
蔭山:常に変化してしまう。自分たちでさえ分からない、分かりにくいことをしているわけなのに、それを分かりやすく説明しようすると、そのとたんに別物になる。だけどやろうとしていることを何かしら説明したい。宝箱みたいなものがあって、こんなのあるんだけど、と言うように、こんなことやろうと思っているんだけどって説明したいけれど、なかなか伝わらない。だからまた新しい活動をする。そして説明が必要になる。そのためにまた活動し、また説明する繰り返し。

これから

----長い時間ありがとうございました。最後にお二人にとってのアートとはどういうものか、そしてこれからのこと、展望について聞かせていただけますか。
蔭山:ちがう視点で物事を見直すことで、今すでにある物に新しい価値を発見できる可能性がある、それがアートですかね。展望は特にありません。先ほど言ったように目的に向かって何かをつくるというよりも、そのときにピン!とか、ムラムラとしたことをやってみたいだけなんですね。
スズキ:アートは、それが存在することによって生じる新たな関係の発見であったり、関係のダイナミズムの拡張を促す作用、一方向的な目的意識では見えてこない関係の多様性、可能性への気付きの機会、ということ。わからないこととか、驚き、問題を、新たに関係を組み変えることで位置付けようとする動きそのもの、ということでもある。人や物や出来事の間にある、隙間に在るもの、むしろ隙間そのものだとも思っています。
これから先も言葉や目的意識が追い付けない状態で、その時の必然性やモティベーションに反応した活動ができればと思います。
(2009.07.31 横浜市中区若葉町にて)