2月9日10日の2日間にわたり全国各地にひろがる25のAAF2008参加団体、合計およそ100名が集まり、熱い議論が繰り広げられました。
1日目は、25団体によるプレゼンテーションとミニトーク。すべてのプログラムが持ち時間7分という中で、2008年のプログラムの概要とビジョンについて映像や写真など趣向を凝らしながら、それぞれの視点と言葉でプレゼンテーションを行うというもの。5組ずつ発表をし終わると、ミニトークをはさみ次のグループへとすすんでいきます。初参加の団体から2年目、3年目となる団体までそれぞれにこれまでを振り返りながら今年の活動の目的や考えを発表しあうというのはアサヒアートフェスティバルならではの機会です。25組の団体が揃ったときに発せられるパワーに圧倒されながらも、何か具体的な形になっていく兆しを感じることができました。
そして2日目に入り、まず2007年度までに試みたネットワーキングの事例報告行いました。北海道から沖縄まで全国を縦断するように点在する参加団体をネットワーキングし、コミュニティを超えた新たな動きを生み出すことも、AAFのミッションのひとつです。これまでも、プログラムを交換したり、他の団体のメンバーを呼んで講演会を行うなど、さまざまな試みがなされてきました。2008年度も自発的なネットワーキング企画がうまれていく兆しが熱いやりとりの中から感じられました。休憩をはさんで、午後はグループディスカッション。最初のディスカッションではなるべく知り合っていない人と輪になって座り、自己紹介をはじめとして5分程度で区切りながらテンポ良く話し合っていきました。変わって次のグループディスカッションでは、「人材育成」「地域間交流」「愛」「アーティスト」という4つの議題の中から1人1人がテーマを選びじっくり話し合い、そしてその結果を全体で共有しました。
学生が主体の団体から長年拠点を持って活動しているところまで、さまざまな背景をもった参加団体がありますが、共通している課題も多いと改めて感じられたディスカッションになりました。人と人をつなぐために。まちの記憶を伝えるために。文化をつくるために。そんなキーワードが2日間の中で共通して見えてきます。1カ所1カ所、場所も違えば条件も違う、そんな全国各地のコミュニティが抱えている問題をそれぞれに直視し、自らが一歩踏み出す方法として、何らかの問題提起の方法として「アートの力」を生かしたいという熱い想いにふれられた2日間でした。 ご来場いただきました皆様、参加団体の皆様、本当にありがとうございました。(事務局・遠藤)
検証チームとして、8月26日に「アートリンク・アートパーティー2007」のモニタリングを行いました。
まず、展示最終日にも関わらず、ひとつひとつ丁寧にガイドしていただき、さらに作家さんや参加者の方々にも直接話を伺うことができました。ひとえに、NPO法人アート・おかやま代表理事の田野智子さんや真鍋剛一さんをはじめ、展示の企画者である、三宅航太郎さんや湯月洋志さん、女将の皆さん等々ありがとうございました。
今回の会場である「アートスペース油亀」は、築130年という出石町でも古い家屋で、取り壊す予定だったそうです。そこで、アートスペースとしての再活用の声がまちの中で起こり、それに偶然アートリンク・アート・パーティの開催が重なったということでした。出迎えてくださったのは、作家とのペア制作を行った、障害のある人たちのお母様たち。皆さんは、「旅館」の女将さんに扮していました。
そもそも、アートリンク・アート・パーティ2007のコンセプトは、「会場を旅館に見立てて様々なお部屋にご招待する」というものでした。各部屋は、「○○の間」と名づけられ、そこで作家や障害のある人が公開制作をしたり、作品の解説やペアでの掛け合いがあったり、旅館のごとくくつろいでいたりと日常をそのまま味わうことができました。
「二見の間」では、あるペアがボランティアと共に旅行中の様子を再現し、実際に浴衣を旅館から借りて着ており、また旅館から見えた風景写真を拡大して窓に貼っていました。また「笠岡の間」では、シンプルにライブ音源が流されていました。これは、笠岡諸島でのワークショップを兼ねた合宿企画で、あるペアが島 民の方々を前に行ったライブの様子でした。どの部屋にある作品も、ひとつの作品として完結しているわけではなく、「これは?」と作品までの関係性を伺うことでわかるという仕掛けになっていました。
これまでのペア制作の作品展示形式とは違った、「関係性=間」を体感できる場だと実感しました。「間」の体感は、最後のイベントであるあるペアのライブでも感じられました。このペアは、特に今期様々な場所でのライブを行っていたようですが、その時・場でのインスピレーションによって歌詞が変化するライブとなっていたようです。
この後さらに、アートリンク・クラブパーティが近くの城下公会堂で行われ、若者と障害のある人たちとのコラボレーションやダンスで盛り上がりました。今回のモニタリングでは、アートリンクプロジェクトにおける関係性はもはや、作家×障害のある人だけに収まらないほどのリンクの複雑さを持っていたということを強く感じさせてくれるものでした。(検証チーム・高橋)
スタジオ解放区による、「映画時間〜コザ街歩き映画祭〜」は、まさにタイトルそのままのプロジェクトでした。
沖縄市のコザ地区にあるアーケード街「銀天街」を舞台に、いろいろな場所と時間に映画を上映する。つくる。観る。映画のある生活空間、生活空間が舞台になっている映画が、街を万華鏡のような空間に変容させています。中乃湯という銭湯での上映会では、僕も生まれてはじめて全裸で映画を観ました。これは通常の銭湯の営業時間内に行われていたので、映画上映を知らない近所のおじいさんが、ふつーに入っていらっしゃって、とてもおかしかったです。
銀天街アーケード内で行われた上映会の様子は、銀天街の八百屋さんが開設されているブログに詳しくリポートされていますので、ぜひご覧ください。
・コザの八百屋の独り言 http://yaoya.koza.in/
一柳亮太さんが講師となっている、コザの銭湯を探すワークショップに参加しましたが、スタジオ解放区に集まるコザの子どもは、みんな本当に元気!油断しているとすぐよじ登ってきます。大人の男性は”乗り物”と認識しているらしい・・・。グループに分かれての銭湯(と銭湯跡)を探すゲームは、小学校2年生の女の子がリーダーとなって、みんなをぐいぐいとひっぱっていきます。スタジオ解放区のコザでの取り組みは、5年になりますが、小学生から参加している子どもが、高校生になっても参加してくれているそうです。
「映画時間」会期のちょうど中盤の”反省会”のパーティにも参加させていただきました。前述のブログの古堅さんをはじめとする、コザの商店街の皆さまに、まちのお話を伺っていると、「うーん、それはキング牧師が暗殺された頃だよ」とか「照屋の公民館でもブラックパンサーの集会があってさ」などという話がポンポン出てきます。米軍基地に隣接し、多大な影響を受けてきたまちならではのエピソードです。ベトナム戦争時のコザは、ものすごい好況で、バーでは一日で家一軒立つほど儲かったそうで、沖縄全島から人が押し寄せてきたそうです。米兵や外部からやってきた人と否が応でも多文化状態を日常としてきたまちならではの、寛容な懐の深さも、コザの魅力の一つのようです。
スタジオ解放区の林さんと藤森さんは、プロジェクト全体の切り盛りと、作家としての作品制作で、ものすごい労働量だったとのことですが、「映画時間」というシンプルなコンセプトが、コザのまちと化学反応を起こし、ゆるいつくりながら、不思議空間がギラっと垣間見える優れた時空間でした。
コザの銭湯での上映会、まち歩きワークショップ、パーティに参加していて、内地(沖縄以外の日本)の印象とずい分と違和感を感じたので、合間に首里城(伝統建築)・那覇市内(現在の繁華街)・名護(住宅街)を歩き、沖縄におけるコザの特色を捉えようとしてみましたが、いまひとつ分かりません。ワークショップの講師の一柳さんに伺ったところ、内地ではいわゆる伝統的な地域行事や労働歌・お祭りの主体となるコミュニティの経験を持っているのは、70歳以上という感じですが、沖縄では、40歳代の人でも伝統的なマインドを持っているとのことです。
映画というビジュアルアートによって、目に見えない(インビジュアルな)地域の特性が顕在化するという点がアートプロジェクトの持つ面白さでしょうか。
商店街の皆さんや、アーティスト、旅の途中でぶらっと寄った学生までもが、のんびりと居付いてしまう、スタジオ解放区ですが、その地道な取り組みが認められて、沖縄市のチャレンジショップ事業として新たに、住民の手によるまちとアートの場「銀天大学」という事業も始まっていました。
アートプロジェクトをきっかけに、まちが変わりつつある予感を感じさせる、「映画時間〜コザ街歩き映画祭〜」でした。(検証チーム・下山)